この年末年始、関西地区で救急患者の受け入れを多くの医療機関が断るケースが相次いだ。一番新しい例が2日夜にあった東大阪市の交通事故で、軽乗用車と衝突したミニバイクの男性(49)が周辺5カ所の救急救命センターから「満床」などとの理由で断られ、1時間余りして6番目の千里救命救急センターに運ばれたが、亡くなった。マスメディアの論調は当初、年末年始の特殊事情の方に振れたりした。違うだろう。最後の砦、3次救命救急センターが大災害が起きたわけでもない中で軒並み「満床」になるのは異常なのであり、「医師が足りなくなっている証明だ」とはっきり言い切るべきだった。
そんな折に、
「行政学者から見た医療崩壊」(NATROMの日記)で「まちの病院がなくなる!?―地域医療の崩壊と再生」(伊関友伸著)から引用された、気になる記述を見た。
「[現在の国の行う医療政策は、ことごとく現場の医師のやる気を喪失させるものであるようだが、]その原因は、国の行う医療政策の目的が、『医療費の削減』が第一となっていて、国民にとって必要な『医療の質の維持』という目的が後回しになっているためであろう。これは、厚生労働省だけが悪いというわけではない。国全体の政策として『医療費を削減する』という政策目標が設定されている中で、厚生労働省ができることは限界がある。…医療の現場がどれだけ疲弊していても、厚生労働省は医療費の総額を増やすという政策決定をする権限は与えられていない」
これに納得してしまう方がいらっしゃるようだ。反論するのは容易だ。ほぼ1年前の
「安倍内閣は産科医療崩壊とは思わない [ブログ時評75] 」で書いた通り、既に産科領域の高次救命救急機関が一般出産の妊産婦まで抱えてパンク状態にあった中で、厚生労働大臣に「(産科医の減少は)出生数の減少で医療ニーズがはっきり低減していることの反映と承知いたしております」と国会答弁させたのは、厚労省官僚だったのだから。
確かに政策の決定権は政治家にあるが、ここまでお膳立てしてきたのは官僚であり、医療費削減――病床数削減――医師数削減の方向は来年度予算案でも揺らいでいない。産科・小児科から外科・内科まで医師不足が歴然としてきた中、既定方針の下で官僚は「不作為」を通そうとしているかのよう。
年始めにブログを巡っていて、産科医のページ
「胎盤をクーパーで剥離しました」(ななのつぶやき)で胸を突かれた。難産の末に胎盤癒着が判明した。「上腕の中ほどまで、産道から子宮内に」入れても指が子宮壁との間に潜り込めない。「出血は容赦なく続いています」「咄嗟の判断で、福島県では『禁忌』のクーパー、使いました。クーパーとは、手のひらサイズの手術用はさみです」「左右の手で子宮壁と胎盤の厚みを感じながら、ゴリゴリと胎盤を剥がしにかかりました。逮捕とか裁判とか、頭に浮かびますが、それよりこの産婦さん死なすわけ、いきません」
「福島県では『禁忌』」とは、産科医が胎盤を剥離して出血多量で産婦が死んで逮捕され、刑事裁判になっている事件を指す。絶対成功の確信もないのに手術用はさみで剥がしたことが弾劾されている。こんなリスクを背負いながら、多くの医師が休日も不十分なのが医療の現状だ。それでも高次救命救急機関は一部はヒマにして置かねばならない――この常識が医療行政を扱う厚労省官僚に欠け始め、目の前の現実を見て「まずい」と感じなくなっている。