今月発売されている岩波書店の月刊誌『世界』3月号で、昨年4月号から始めた、このコラムの転載が12回1年分になりました。以下に一覧を作りました。市民によるブログ言論のエッセンスを、紙メディアである月刊誌から大部数のメールマガジンまで通して掲載し、市民ジャーナリズムを育てる試みです。こうして見ると第一段階はだいたい達成したかと思えます。
4月号:
「ライブドアPJに忠告し忘れた欠陥 [ブログ時評10]」
5月号:
BSEはメディアリテラシー力を問う [ブログ時評15]」
「輝きが無いソニー改革人事の違和感 [ブログ時評14]」
6月号:
「実名記者ブログと素人の踏切事故追究 [ブログ時評17]」
「市民参加のジャーナリズムは既に存在」
7月号:
「T記者名暴露・新時代象徴なら貧しすぎる [ブログ時評23]」
「国際熱核融合炉の誘致断念は大歓迎」
8月号:
「日本の自動車産業は世界を幸せにしない」
9月号:
「無理を重ねた地上デジタルの副産物 [ブログ時評29]」
「香港映画『頭文字D』を見た海外読者からのメールです」
10月号:
「小泉郵政解散へ賛成論と反対論まとめ [ブログ時評32]」
11月号:
「ドイツ総選挙と比べながら考えた [ブログ時評34] 」
12月号:
「医療制度改革試案とメディアの虚栄 [ブログ時評37]」
1月号:
「仏の暴動と名神7ブラジル人死亡事故 [ブログ時評40]」
2月号:
「株狂騒の裏に潜んでいた経済中枢の欠陥 [ブログ時評42] 」
3月号:
「ライブドア『虚業の楼閣』めぐる攻防 [ブログ時評46] 」
ライブドアPJで始まって3月号もライブドア事件だったところが、この1年を象徴していますね。実はやはり老舗の某月刊誌も追いかけて類似企画を始めていますが、ジャーナリスティックな拾い方が出来ていないので、全く別物になっています。1年で取り上げさせていただいた多数の皆さんからの引用は、それぞれが短くても、問題に対して切れ込みが良い構成になっているはずです。それが1997年から市民社会の知的ピークを収集し続けている
私のノウハウです。こうして集めると、市民ジャーナリズムとして何かをはっきり語っています。
当初の予測では、1年後の今、マスメディアによる市民との双方向交流がどんどん広がっているはずでしたが、遅れ気味です。反対に正確かどうかは別として、マスコミに代わって一次情報を語るようなブログが増えています。新聞社の同僚にプロ歌手との対比で「ブログ=カラオケ」論を唱える人がいて、プロとは言えないが限りなく本物に接近できる擬似的なジャーナリスムだと判断しています。でも、その立場を脅かすほどに、恐ろしいブログが出現してきましたね。
次の1年は広い意味の双方向交流が本当の内実を持ち始めるだろうと考えています。私の立場は
「誰だってジャーナリスト~プロだけのものではない」で書いた通り、ジャーナリスムとは当該市民社会において「隠されがちな事実を伝え、見えなかった意味を言う」ことと一貫しています。メディア側の気付いた人間と、メディアに見えないものを発信するブログとの協働作業も現れるようになるでしょう。インターネットですから玉石混淆はいつものことです。どれもが素晴らしいレベルであることなどあり得ません。でも、拾い集めれば、ひと味もふた味も違うものを可視化できるのです。