「学力・読解力低下で知る危うい国家戦略 [ブログ時評03]」はある意味では誰にでも書くことがあるテーマでした。自ら学校教育で学び、また親として、教師として子どもを見てと、関わってきた立場は色々でも必ず該当します。では私が先に掲げた
「誰だってジャーナリスト~プロだけのものではない」との立場で「素人ジャーナリズム」の成果を検証してみましょう。
OECD学習到達度調査のような大規模で複雑な発表は、通常、1週間くらい前に記者クラブで全資料をマスメディアに提供してしまい、解禁日まで公表しないとの「縛り」を掛けます。それから、ゆっくり各方面に取材して、当日、大きく紙面に取り上げることになります。マスメディア側には十分な余裕があります。
今回、大きな焦点は読解力でしたが、これについてマスメディア側に目覚ましい「解読」は見あたりませんでした。読書量の減少は既知のことですし、ネットや携帯電話との関連は、証拠やメカニズムを示さないと言っただけに終わることは明白です。マスコミ業界用語で「書き得」ですが、実は「逃げ」です。
[ブログ時評03]で取り上げさせていただいたブログは、7日の発表から3日間くらいで書かれたものです。読解力問題の意味や、高め方、その実践の難しさについて引用した論考は、マスメディアの水準を超えているでしょう。読解力の国際性や「キレやすい子どもたち」にまで展開できたのは大きな収穫だと思います。
教科内容削減・ゆとり教育導入の影響については、お母さん二人の立場で相反する書き込みを取り上げました。でも、進学コースから外れた高校のカリキュラムの実態と、今の小学校の授業の有り様と、実情を教えていただけて、読む側には新鮮だったのではないでしょうか。少なくもマスメディアに出る話ではありません。
生活科が登場した頃について書かれた、お母さんと元教諭の経験談も、今だからこそ次の生かすために真剣に考えるべき中身を含んでいます。「私は退職しているので、本音が言えたんですが、現職でもそう思ってる人、いっぱいいますよ」というコメントが寄せられています。個別の状況を積み重ねることは一見、無駄のようで「素人ジャーナリズム」としては大きな力になる気がしています。
フィンランドでは成功したとされる「総合的な学習」。国内の教育現場にいた方、フィンランドに学ぼうとした方からの発言を持ち出しました。そうしてみて分かる彼我、拠って立つ基盤の差、あまりのことに呆然です。
(※注=ちょっと甘口だったかな。次のエントリーでは、どのくらいの数を読んでこの[ブログ時評03]が出来たのか種明かし、その作り方と、ブログの現状、どこを不満に思っているか、との表明をします)