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by ydando
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被害大き過ぎ実感できぬ首都直下地震 [ブログ時評12]
 経済損失112兆円、避難者700万人――政府・中央防災会議の「首都直下地震対策専門調査会」がまとめた被害想定の数字は、あまりに大き過ぎる。東京都などが単独でまとめていた想定を、関係都県の全体像で見たらこれほど大変だと分かっても、何から手を付けてよいのか、考えあぐねる規模である。ネット上の反応も実感を伴っていない感じがする。

 例えば、発表された資料「被害想定結果について」の中にある避難者の数だけ最近の大地震と比較してみても、阪神大震災で最大31万人、新潟中部地震で10万人のオーダーだった。いずれも被災後数日は、この人たちにわずかな食事しか届けられず、どれほど苦しんだことか。発生翌日に出る避難者700万人の内、東京の200万人をトップに計460万人が避難所生活を送る想定になっている。都が備蓄している食料はアルファ米119万食、カップ麺100万食とかだそうだ。最大で650万人出ると考えられる、職場や学校からの帰宅困難者も含めて、食事を他人に頼るのは最初は無理だと諦め、何らかの緊急食をいつも自分の身近に置くしかなかろう。

 『ブログで ひとこと 言わせてちょ~だい』の「●東京に地震が起きたら・・・」は「200万人以上が1ヶ月たっても避難所暮らし!? 地震の直接の被害よりも、その後の被害、いわゆる『震災』がすごいんだね」と指摘している。でも、ちょっと踏み込んで考えてみて欲しい。200万人以上に1カ月以上も食事を供給する――誰が、どうやってするのか。阪神大震災の30万人には、隣の日本第二の都市・大阪などが無傷で支援できた。関東平野の中心部が広範囲に被災して、水やガス、電気などライフラインが復旧しない時点で、200万人以上に周辺都市の支援が届くのか。たった10万人の支援に無傷の県都・新潟が四苦八苦したのを、この間、目にしたばかりではないのか。お忘れだろうか。

 最大で1万3000人という死者数推定に疑問を投げる声もある。「エントロピーは増大し続ける・・・」の「東京の下で3つのプレートが・・・」は「この死者の数ですが・・・、火災旋風の発生は計算に入ってないのじゃないでしょうか」「同時多発的に火災が発生した場合に、火災で発生した大量の熱気が上昇し、冷気と混じり合って炎の竜巻を発生させる現象です」と死者がもっと増えると考えている。阪神大震災の時は幸いにも微風状態であり、さらにラッキーなことに未明で交通量が非常に少なかった。地震時に道路を車が埋めていて、車両火災で延焼が広がるようなら大変である。道路については今回の想定は地震による運転操作のミスで死者が出るところで止まっている。

 新幹線の脱線を想定しながら、死者はその車両だけと考え、追突のことは考えないなどの矛盾はマスコミ報道にも出ていた。細いベルト帯が被災した阪神大震災に比べて、首都直下地震は面として被害が広がるのに犠牲者数が2倍にしかならないというのがそもそもおかしい。経済損失だけは国家予算の1.4倍と巨額なのに、人的被害はあまり刺激的にしたくない政治的配慮もありそうだ。

 「blog.CreCom.Org」の「東京直下地震、被害は最悪112兆円」のように「『完璧な地震の備え』とまではいかないまでも『心構え』と『準備』だけはしておきたいものですね」と市民が反応してくれるのが狙いだろう。しかし、「風信子石」の「結局何が言いたいのかわからない<首都直下地震被害想定>」との声も出ていることを付け加えておこう。。

 このような想定が出るのであれば「近年、都心の分譲マンションが人気で住み替えられる方も多いようですが、その方々は居住地リスクをどの程度まで考慮されての移住だったのでしょうか?」と訴えているのが「田舎暮らしの学校」の「田舎の存在価値とは」である。「暮らし・生活・生命を不測の事態から守るために、生活の拠点を分散させて確保しておく。華僑の方にとってはあたりまえの考え方のようですが、島国に育ち国際交流経験の少ない日本人にはあまり浸透していない考え方でしょう」とリスク分散を暮らしの根本に取り入れるべきだとする。

 首都移転論もいつの間にか忘れられ、便利だというだけで東京集中が進む昨今である。460万人を避難所に収容して日々3度の食事を供給するなど、極度に非現実的であることに気付けば、食料備蓄を増やすなど小手先の対策だけに目を向けて良い訳が無かろう。
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by ydando | 2005-02-27 19:45 | 資源・環境・災害
京都議定書、本当の問題点を言おう [ブログ時評11]
 地球温暖化に対する初めての国際的な枠組み「京都議定書」が発効した。ネット上で真剣に議論されているのは結構なことなのだが、3年前、日本批准の際に、第119回「京都議定書を批准しても対策は幻を書いて警鐘を鳴らした立場からすると、厄介な場面に立ち会ったと思ってしまう。身の回りの省エネ、省資源からと意気込んでいらっしゃる方には水を差すかもしれない。まず、ニューヨークタイムズが掲示しているKYOTOグラフを見て欲しい。

 グラフの主題は各国別の温暖化ガス排出量(2002年あるいは2000年段階)である。1990年のレベルも添えられていて、先進国側にだけ、これに対して数%の国別削減目標がある。先進国、途上国を色分けした批准国地図も添えてある。排出が多い順位に米、中、ロ、印、日、独、ブラジル、加、英、伊が10カ国。「この10カ国の中で温暖化ガス排出削減に血の滲む努力をしなければならないのは日本だけ」と言われたら、京都議定書に対する見方が一変してしまうのではないか。

 順番に見ていこう。世界排出の4分の1を占め、90年より大きく増やしている米国は批准するつもりがない。同じく90年レベルを大きく上回っている中、印、ブラジルは途上国で削減義務はない。ロシアは経済停滞で排出は減っている。ドイツは東独併合で旧式設備で大量排出していた東の枠を取り込めた。英国は二酸化炭素を大量に排出する古い石炭火力から北海天然ガスに転換、90年レベル以下の排出でしかない。イタリアを含めてEU全体として計算することにもなっていて、東欧諸国の参加で枠にはさらに余裕が生まれている。日本以外では唯一、カナダだけが苦しい立場だが、グラフの右に国民1人当りの排出量が表示されていて、米国並に多く、日本の2倍以上もある。

 雑巾にどんどん水を吸わせている国と、濡れ雑巾をちょっと絞ればよい国の間に、過去から省エネ・環境対策で雑巾を絞り切ってきた日本がいる。

 歴史を振り返れば明治政府が最初に結んでいた不平等条約か、それ以上に可笑しな立場に立っている。あの時代なら白刃を抜いて壮士が政府高官に斬り込みにも行きそうなほどだ。ほとんど国辱ものの現状について、マスメディアははっきり伝えないし、オルタナティブであるネット上の言論にも認識が乏しい。中でも「日本人に温暖化なんて関係ない」「どうでもいいよ、自然が一番」と笑っている人を脅してみよう。

 政府による、新しい温暖化ガス排出削減計画がようやく明らかになった。

  部門 03年度/90年比 現目標  新目標
  産業    -0.02%    -7%   -8.6%
  運輸    19.5%     17%   15.1%
  民生    32.9%     -2%   10.8%
  排出権等  ----      ----   -1.6%

 32.9%も増えてしまった家庭やオフィスなどの民生部門では、さすがに純減は諦めたものの、現在から2割も減らす無謀な計画になっている。排出権取引などによる分が「-1.6%」と付け加えられたが、「京都議定書を批准しても対策は幻」で描いたように、国際的な排出権買い取りしか行き着く先はない。どれくらいの規模でどこに払うのか。

 「市民のための環境学ガイド」の「ロシア京都議定書批准確定」は「色々と仕掛けをつかっても、1.3億トンは最低でも削減しないと」「それを排出量取引なる金で解決するとして、1トン1000円とすると、1300億円」とはじいている。それも、あの北方四島返還を二島に値切ろうとしているロシアに払い続けることになるはずだ。もちろん新財源、税収が要る。

 経済産業研究所の「外交問題としての京都議定書」には世界の排出量見通しがあり、途上国の経済発展に伴い2010年から2020年には22%も増える。削減の枠組み内にいる日欧加の分は2010年には32%あるが、2020年には29%に下がる。

 はっきり言って、このままでは日本の努力は壮大な無駄になる。「環境問題、パソコン環境の整備と日々の雑感」の「京都議定書の発効とその取組み」がいろんなブログの議論を「とりあえず行動しよう、行動するという気持ちが大事」とまとめている。身近なところから、ささやかでも努力しようとする人たちに「その行動は正当ですよ」と言ってあげるには、今の努力が将来に結実する道筋を示さねばならない。努力を強いる国がするしかないことであり、まず日本が置かれている悲惨で特異な立場を国民に率直に説明すべきだ。

  ※関係の親サイト分野別入り口・・・《環境・資源》
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by ydando | 2005-02-20 18:33 | 資源・環境・災害
清原、老いたり。飛ばないボールなら飛ぶバット!
 プロ野球8球団が採用しているボールが今シーズンから「飛ばないボール」
に代わります。ちょっとバットの芯を外すと予想以上に飛ばないボールだったため、巨人の清原選手が悩んでいるといいます。スポーツ紙が伝えるところでは、米国のホームランバッター、ボンズが使っているオリジナル・メープル・バット社の「SAM(サム)メープルバット」を手に入れて10日に試し打ったそう。太くて軽い割に硬く、反発係数が高いと言いますから、まるでテニスのデカ・ラケットみたい。

 高校野球界を沸かせたPL学園時代の清原・桑田は、試合は金属バットなのに、木のバット以上に打ちにくい竹のバットで練習したことで知られました。竹のバットといえば、狭い狭い芯を外して打つと手に痺れが来てたまらないのです。金属バットは芯を外しても、力まかせでも、当たればかなり飛ぶ性質があります。それなのに竹のバットで芯で打つ練習をしたところに、超高校級の凄みを感じたものです。清原、老いたり――思わず呟いてしまいますね。

 ところで、従来の飛ぶボールの生産も続けられ、しかも見た目にはどちらも違わないと言いますから、ややこしいことになりそうです。野球規則では球審は主催球団からボールを受け取ることになっていますから、混ぜて渡しても判らない。飛ばないボールの影響はいかに、オープン戦からシーズン本番を注目したいと思います。

 注:今年の野球を科学的に読み解くのは、もう少し先にしようと思っています。過去に第92回「新・日本人大リーガーへの科学的頌歌」という読み物を書いています。
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by ydando | 2005-02-17 18:46 | 文化スポーツ
ライブドアPJに忠告し忘れた欠陥 [ブログ時評10]
 ニッポン放送株の電撃取得、フジテレビ系列メディアの支配でも目論むのかと世情お騒がせなライブドアが今度はPJ(パブリック・ジャーナリズム)ニュースを立ち上げた。「特集・パブリック・ジャーナリスト宣言(1)」はマルクスとエンゲルスによる「共産党宣言」冒頭を文字って始まっているのだが、ご当人達が意気込んでいるほどにはジャーナリズムの世界で注目されていまい。その証拠に、「『マスコミ』というジャーナリズム界の異質者」を血祭りに上げているのに『マスコミ』からの唯一のレスポンスを、私の連載第150回「ネットと既成とジャーナリズム横断」から取っている。少なくとも私はマスコミを代表していないし、会社の仕事と切れている時はネットジャーナリズムと言うべき所に立っている。

 昨年末から度々、ライブドア側からパブリック・ジャーナリズム立ち上げに向けて取材したいとメールがあり、お世辞を使う必要も無いので率直に「難しいでしょう」と意見を述べ、あまりにうるさいので明解なところを文字にしたら良いだろうと「ブログから生まれるジャーナリズムは」を書いて、やり取りはお終いにさせてもらった。1988年初めに当時は社業でネットに携わってから、ネット上活動をずっと続けてきたので、ネットのことで話を聞きたい人には出来る限りの応対をしてきた。うるさいのも限界と感じた理由は、何でライブドアのために、こんな時間を使わねばならないのか、素朴な感情として納得がいかなかったからだ。

 グッドタイミングで「宣言」が出て、事態は明瞭になった。マネーゲームの野望、その一翼を担うニュース部門が「自らの『活私開公』を目指す個人としてのパブリックが集い主体となって、『客観的真理』『規範的な正しさ』『主観的な誠実さ』といった理想論的な対話基準のもと……」と掲げて、世間が額面通りに受け取ってくれるのだろうか。雑多な情報でなく、ニュースだからこそブランドの力は必要である。多数の市民記者を抱え、韓国の政治を動かす存在にもなったオーマイニュースが念頭にあるらしい。しかし、ライブドアという出自自体が「日本のオーマイニュース」になる可能性を絶った――ライブドアPJ関係者に忠告し忘れた「欠陥」とはこのことだ。

 市民記者への道は「市民メディア・インターネット新聞JANJAN」で既に開かれているが、大繁盛とはなっていない。体制寄りだった韓国の既成メディアと、日本は事情が違うからだ。ブログ形式でのニュース配信だって独占できるものではない。ここに来て既成マスコミがネットに攻勢を掛ける動きをした。神奈川新聞が無料会員制コミュニティーサイト「カナロコ」を作ったのである。エリアライター「ホロホロさん」を募って、地域のニュースをブログの形式で発信させている。これにはコメントもトラックバックもある。新聞本体からの気になるニュースにコメントも出来る。新聞業界で絶えてなかった本当の双方向交流を意識させる。4月からは会員のみのサービスになり、読者の囲い込みを狙っている。

 販売店というクッションを置いてしか読者を把握していなかった新聞業界では、最近、会員制の読者囲い込みが目立ってきている。神奈川新聞の試みが成功すれば他の新聞が続くだろう。私も随分前に進言したことがあるが、当時は聞く耳を持つ人は無かった。いや、88年からの短命ネットこそ双方向交流そのものだった。完全匿名の読者群との恐るべきハイレベルなやり取りを、当時を知る者は「ネット草創期の桃源郷」と思い出す。いま問題点の一番はサイトを運営する、柔軟性がある人材がどれほどいるかにある。神奈川新聞の動きをうけて「ネットは新聞を殺すのかblog」の「囲い込むな、解き放て」は「囲い込みを目指すな」と檄を飛ばすが、新聞業界の人間がトレーニングをするには囲い込まれたくらいの環境がちょうど良い。アニメ「風の谷のナウシカ」の言葉を借りれば「失われし大地との絆を取り戻す」第一歩になる。

 その”マイナーリーグ”だって完全閉鎖空間ではない。ソーシャルネットワークと違い、希望者は会員になれるのだから、何が語られ、論じられているかは自ずと広まる。横のつながりを作るボランティアがいれば、論壇系のネットワークが自然に構築される可能性もある。かくして、純・匿名で勝手なことが言い回れるネット空間は、相対的にどんどん狭まって行こう。
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by ydando | 2005-02-13 00:06 | ジャーナリズム
「言いがかり」がブログの議論なのか
 日曜日に書いた「日本の映画界にもっと市場原理を [ブログ時評09] 」は、数十年来、映画界で起きていることの見通しを良くするために結構手間を掛けて書いたものです。ブログ時評という立場からすれば、これくらいのパースペクティブは誰かが提供してくれていて、そこから議論を展開すれば面白かろう――くらいな気持ちで取材を始めているのに、さっぱり見つからない。2004年の映画興行収入発表について扱っているブログは主観的感想ばかり。仕方がない、自分で作るか、となった次第です。

 書いてみると、元映画業界人という「こんなものを買った。」から「★日本映画界に市場原理を、ってそういうこと?」のトラックバックが来ました。「ちょっと言いがかりを付けてやろうかと言う記事である」には笑いました。色々突っ込みたくて書いてありますが、失礼だけど、指摘の点は全て知っていますよ。その手の木を見て森を見ない議論を際限なく書き込んでいけば、見えるものも見えなくなるだけです。それでご本人も最後に「失敗。」と結んでいらっしゃるのだから、また笑いました。

 ただ、真面目な議論で、どこかの付和雷同・閉鎖サークルで傷をなめ合っている香具師たちとは違うようなので、エントリーをお返しすることにしました。注文したいのは「言いがかり」じゃなくて、もっと発展する形の議論にするべきだということです。気になった点を一つ、突き詰めて、自分でもそうだったかと思える新しい発見にして見せて下さいよ。揚げ足取りや言いがかりがブログの議論形態というのでは、あまりに寂しい。

 最近の例ですが、親サイト「インターネットで読み解く!」の掲示板で、簑島光宣さんという方が私のレスポンスを見て「グローバル競争社会化の元凶は日本 [ブログ時評05]」を読み返され、見えていなかったモノを見事につかんでいらっしゃいます。そうでなくっちゃ――それなりの時間とエネルギーを費やして、ものを書いている側としては思います。
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by ydando | 2005-02-08 11:50 | ネット
日本の映画界にもっと市場原理を [ブログ時評09]
b0071191_15521363.jpg 日本映画製作者連盟が発表した2004年の映画興行収入は2年連続で過去最高を更新、2109億円になった。これでも、200億円を記録したアニメ「ハウルの動く城」の一部しか算入されていない数字だという。入場者数は1億7千万人で、全盛期1958年の11億2700万人には比べるべくもないが、確かに復調していると感じさせる足取りを、左に掲げたグラフからも読み取っていただけよう。グラフが語っている通り、日本映画業界のどん底は1996年にあった。その翌1997年、私の連載「インターネットで読み解く!」が「INTERNET WATCH」で始まり、19回目の「日本映画は窮地を脱したか」は、こんな書き出しだった。

 「97年は、衰退基調と言われてきた日本映画にとって、特筆ものの『事件』が連続した年として記憶されるだろう。5月のカンヌ映画祭で、今村昌平監督が『うなぎ』で2度目のグランプリ、河瀬直美監督が『萌の朱雀』で新人賞を得た。この夏公開の宮崎駿監督『もののけ姫』が邦画新記録の興行収入72億円、観客数877万人を8月末に達成して、なお客足が衰えずロングランしている。9月にはカンヌ、ベルリンと並ぶもう1つの世界三大映画祭ベネチアで、北野武(ビートたけし)監督の『HANA-BI』がグランプリを獲得した。ある意味でもっと刺激的だったのは、周防正行監督の『Shall we ダンス?』が米国で7月にロードショー公開され、好評を得て全米に上映館が拡大、『チャートでは18位にランクインされ、驚異的にいい数字をあげた』と、監督自身が帰国後に語ったことだ」

 こんなグッドニュースが続いたから映画ビジネスの基調が変わる――そんなことはあり得ない。どん底から8年、日本の映画界に大きな変化をもたらしたのは、一つのサイトに幾つものスクリーンを持つシネマコンプレックス「シネコン」の増殖だと総括せざるを得ない。2004年の全国スクリーン数2825の63%に当たる1766を、215カ所にあるシネコンが占めるに至った。そして、1996年はこんな年だった。それまで都市郊外にばかり展開していたシネコンが都市中心部に打って出た。先兵は福岡市博多区にオープンしたアメリカ大手映画興行会社AMCの「AMCキャナルシティ13」による「福岡戦争」である。

 20代の筆者が書く論文「映画産業論」の「Ⅲ 変わる映画業界」はこう表現している。「AMCが誕生した96年5月1日から12月31日までの8ヶ月間の興行成績は、観客動員数60万1000人、興行収入8億6000万円。福岡市内の映画館はAMCの13スクリーンを含めて26スクリーンあり、この期間の総動員数は139万4000人、興行収入19億9000万円。ちなみにAMCがオープンしてない前年同時期の福岡市13館の総動員数は108万2000人、興収15億9000万円で、福岡市内全体では前年比で25%しか増加していないのである。映画館が2倍に増えたので、興行収入も2倍に増えるというわけにはいかなかったのである。既存館はAMCに観客を相当数奪われてしまったと考えられる。既存館は前年比で軒並み30%近くの減少をみせており、明らかにAMCに観客が移動したことを表している。結果として、今までの映画ファンが馴染みの映画館に通うのをやめて、新しいシネマコンプレックスに行くことになったのである」

 日本の映画興行の世界は長く護送船団方式で守られてきた。系列の配給会社がいつからいつまでと指定してフイルムを届け、映画館主は黙って上映するだけ。大した経営努力もしないで、そこそこの収入が得られた。上映している映画がヒットして客が押し掛けたとしても、当初から決まったスケジュール通り、次の映画を掛けて平然としていた。これを「ブロックブッキング」と呼ぶ。

 反対語が「フリーブッキング」であり、日本の10倍、米国に3万もある映画スクリーンは自由競争で運営される。映画配給側は個別の館主に「この映画はうける」とセールスして回らねばならないが、ヒットすると判れば数千スクリーンが一斉に同じ映画を掛ける。日本のシネコンも系列支配から離れた上に、ヒット映画には同一サイトで3つも4つもスクリーンを使うことで需給バランスに応えるシステムを作った。2時間座るには貧弱だった座席や設備の改善などもシネコンは果たした。ブロックブッキングも一部が崩壊した。

 日本が復調気配とは言え、日米の映画業界には大きな差がある。その歴史的解説は「日本映画は窮地を脱したか」でも引用した神戸大学大学院・山下勝氏の「アメリカ映画産業史2」(当時。現在は米国のWaybackMachineで読める)に詳しい。メジャーの一時的な衰退を補って余りあった「俺たちに明日はない」「卒業」「イージーライダー」といった作品群につながるインディペンデント作品の隆盛から大作志向へ転じたのに加え、米国ではテレビ局にも独占禁止法の網が掛けられ、一定以上の番組外注が義務づけられたために、テレビドラマはもっぱらハリウッドが製作することになったのである。米国ドラマには日本の安手なテレビドラマと違う味わいがある理由が納得いただけよう。

 テレビドラマ製作が独禁法で規制される事態は、残念ながら日本では考えられない。しかし、独立系の製作者たちが、必ずしも報われているとは言えぬまでも良い仕事を続け、一部はハリウッドでリメイクされ始めた。あの「Shall we ダンス?」もリメイクが出来上がり、試写を見た方の「Shall we Dance?」など、評判記があちこちに書かれている。

 もっと映画は見られて良いのに、阻んでいるのは入場料の高止まりだろう。「京の昼寝~♪」の「その後の『東京タワー』~☆」は「映画『東京タワー』が、映画業界の常識を覆す記録を作ったそうです。 1月の15日に公開が始まって以来、2度のレディースディの観客動員数が、公開初日と2日目の記録を上回っていることがわかったそうです」と伝えている。1000円という手頃な値段なら、もっともっと客は呼べるのだ。

 「Ⅱ 映画業界の現状」に各国の比較表があり、米、英では500円前後で映画が見られている。冒頭のグラフをもう一度見ていただくと、1970年代初めに日本では客足の落ち込みに耐えられずに料金を500円から1000円台へと上げていき興行収入は確保したものの、結果としてコアな映画ファンしか残らなかった様子が読みとれる。年間の平均映画鑑賞回数が5回もある米国では、DVD普及などの影響で客足に陰りが見えるそうだが、落ち込んでいた日本なら画質・雰囲気の良さをアピールし、リーズナブルな値段設定さえあれば勢いは続こう。

 日本映画興行収入ランクの上位はアニメと純愛ものばかりとも言われる。しかし、ランクに顔を出さない佳作がいくつも作られている。ちょうど「映画:『誰も知らない』米で好評」とのニュースも飛び込んできた。雑誌「ニューヨーカー」が2ページの批評を書いたそうだ。「海を見ていた」の「映画ファンド」が書いているように「個人向け映画ファンドの募集」が始まっている。若い才能が世界に出ていく可能性が高い場所であることも指摘したい。エンカレッジするためにも、もっと大胆に市場原理を、と訴えたい。
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by ydando | 2005-02-06 15:54 | 文化スポーツ
「一太郎」製造販売禁止判決報道のずさん
 ジャストシステムのワープロソフト「一太郎」などが松下電器の特許を侵害したとして、東京地裁は製造販売禁止の判決を出した。残念なことに、先日の青色LED訴訟和解を巡る報道と同様に、多くのメディア報道は欠陥品と言わざるを得ない。一太郎ユーザーの多さから大きな扱いになっているだけに余計に杜撰さが目立っている。

 全国紙の紙面を見ただけではどれも問題点が理解不能だ。唯一、日経新聞だけが、昨年、同じような訴訟が同社の家計簿ソフトで争われ、同地裁の同じ裁判官がジャストシステム勝訴の判決を出している事情を詳しく解説し、問題のボタンがアイコンであるかどうかがポイントと教えてくれる。それでもかなり判りにくく、ITmediaの「ジャスト「一太郎」の販売中止を命じる 松下アイコン訴訟で判決」と併せ読んで理解できた。

 他紙の紙面やNHKニュースなどから知る限りでは、ジャストシステム側が判決に不満を持つ理由が全く理解できない。インターネットで流れているヘッドライン部分だけでなく、解説に当たる部分を読んでも駄目なのだから重症である。記者の専門知識不足というより、書き手が自分の頭で理解する気がないようにすら見える。細切れ記事の日常的書きすぎが原因だろうか。

 この貧しい状況でメディア報道だけしか見ていないと、某MLで科学ジャーナリストを名乗る方まで青色LED訴訟の地裁判決と控訴審和解内容が整合しないと論じてしまう結果になる。このブログの読者は「青色LED和解で理系冷遇は変わるか [ブログ時評07]」でもう理解済みのはずだが・・・。
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by ydando | 2005-02-02 16:34 | 科学技術