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by ydando
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十分に警察国家であると気付かれぬとは [ブログ時評04]
 全国の警察のトップ「国家公安委員長」を務めた経歴がある元自治相・白川勝彦氏が、渋谷の街頭で突然、警察官4人組に取り囲まれ、動くこともままならない状態で違法と言うべき「執拗に身体検査をしようとする」職務質問を受けたと、自らのウェブに長文の一部始終レポートを書いて話題になっている。「忍び寄る警察国家の影」で、一部のスポーツ紙やテレビ番組でも紹介された。

 弁護士でもある白川氏は「いま私が受けていることがこの職務質問であるとしたならば空恐ろしいことであり、曖昧に済ますことはできないと思ったのです」と、渋谷署まで乗り込んで抗議した。副署長が出てきて白川氏と判ってから「今日の職務質問で一番問題だったことは、ズボンのポケットの中のものを見せなさいといって、ズボンの上から強く触ったことである。見せる見せないは、あくまで私の意思でやることであって、これを強制する権限は君たちにない。『怪しいものがないのなら、見せてもいいじゃないですか』と君たちは執拗にいったが、それは根本が違うのだ」と説教している。

 そして、「私が受けたような職務質問が公然と許されるようになれば、わが国は早晩警察国家となるでしょう」との結論になるのだが、ブログの世界では素直に読んで、額面通り素直に驚く人ばかりではない。選挙に敗れ、野に下った白川氏が今ごろ気付いても遅いのではないか。

 以前に活動家の経験がある「旗旗」の「元国家公安委員長・自治大臣が警察被害に遭遇」は、もう日常的に行われていることだと指摘する。「昭和天皇在位60年式典の当日には、会場近くの両国駅から降りる人全員に所持品検査が強制され、女性のハンドバッグの中まで開けさせています。これらが決して『任意』と言えないのは、当の白川先生自身が身を持って経験されたことですよね!」

 「現在は、警察の『民主性』に次いで、かろうじて『建て前』としてのみ維持されてきた『政治的中立性』が大きくゆらいでいます。つまり、目的意識的にイラク戦争に反対する主張を潰そうという意図が、あまりにも露骨に表れてきています。今の公安は『お国にたてつくものを弾圧する』という政治警察そのものになりつつあります。その相手が『過激派』だろうが市民運動だろうが個人だろうが関係ありません」。その公安警察のイラク反戦デモへの生々しい規制ぶり、罵倒ぶりが動画として記録、公開されており必見である。活動家歴が気になる方も映像を見て判断されたい。

 最近、秋葉原付近では職務質問が強化されているらしい。「さいくろん光画録」の「2004年11月11日(木) はわわ…そんなバカナー!」はパソコンのばらし道具一式の中にあった多機能「レザーマンナイフ」所持で軽犯罪法違反とされ、任意同行された状況を描いている。

 「警官に囲まれ、取調室のあるらしい4階へと向かう」「そこで全身くまなく探られるんですよっ!。高圧的な態度の偉そうな人が出てきて『協力的でないと逮捕するかもしれないっ!』と脅しますっ!」「釣りやキャンプなどの『ナイフを使うシチュエーション』で持ち歩くのは問題無いらしいのだ」「秋葉でパソコンばらすのに必要だから持ち歩いていたんだけどなぁ…」「どうもそれじゃ理由にならないらしいっ」。

 これで取り扱いに抗議でもしてトラブルでも起きれば、公務執行妨害で逮捕が常套手段と化しているという。他の所轄署の範囲まで越境して職務質問で検挙件数を稼ぐ例など、ブログ上には関連する様々な話題がある。

 12月16日には、立川市の市民団体メンバー3人が反戦ビラ配布事件で無罪判決を得た。防衛庁官舎の新聞受けに入れたことが、住居侵入罪になると突然、逮捕され、75日間も勾留が続けられた。東京地裁八王子支部判決は「憲法で保証された政治的表現活動の一つであり、刑事罰にするほどの違法性はない」と明快だったが、非常に押さえた報道しかしない全国紙が出たことは驚きだった。また、裁判所のありようにも実は疑問がある。

 「虎視牛歩」の「妥協としか言わざるを得ない反戦ビラ配り判決」は判決を簡単に賞賛はできないとする立場だ。「ビラ配布から一か月以上もたってから、前触れもなくいきなり逮捕、と同時に家宅捜索(ガサ)で根こそぎ資料を押収され、そして警察発表による報道の垂れ流し。さらに接見禁止をつけられての勾留が二ヶ月を越えている」「この苦痛を裁判所は容認したのである。公訴棄却という検察や警察に対するペナルティがあってしかるべきなのに、公訴棄却は退けた。どう考えても警察・検察による弾圧目的の逮捕・起訴を追認したことにならないだろうか? というか、公訴棄却を避けたことにより、今後この種の弾圧があっても構わないという容認の姿勢が顕著ではないか。警察も検察もペナルティどころか控訴して失地回復する余地すらある」

 「辺境通信」の「反戦ビラ入れで無罪判決」は5月14日付の東京新聞の内容をこう引用している。「調べは一日六時間から八時間。『運動なんかやめろ』『この寄生虫』『自転車で立川を走れないようにしてやる』『おまえは鉄砲玉。ほかの連中は責任を押しつけるつもりだ』。・・・実家にも『娘さんはヤクザの使い走りをしている』と電話があったという」。そして「逮捕されたメンバーの一人が『人権と報道・連絡会』主催のシンポジウム(11月20日開催)で語ったところによると、『取り調べの7~8割は人格攻撃』だったそうだ」と指摘している。上述のデモ規制動画に現れる刑事たちと75日間、想像するだに精神的拷問である。

 お国に逆らえば見せしめとして、こんなことも出来る――汚い取り調べが可能だったのは裁判所が長期に勾留延長を認めたからである。警察内部でも、公安警察主導で進んだ捜査への反省はおそらくないのではないか。入社して4年間はサツ回りしかしなかったこともあり「公安がこんなことで反省したら仕事にならない」と思うだろうと透けて見える。淡々としているマスメディアが出ると、暗に支持されていると感じよう。それにしても、これだけ警察国家になっているのに、近年、重要な事件で犯人が捕まらない印象が強い。犯罪捜査能力は全国的に落ちていると同僚と話し合ったことがある。外国人犯罪増加だけでない、犯罪者側の構造的な変化に後れをとっていないか。
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by ydando | 2004-12-19 15:04 | 政治・経済
「誰だってジャーナリスト」で、どこまで行けたか(2)
 今回の「学力・読解力低下で知る危うい国家戦略 [ブログ時評03]」を書くために、どれくらいのブログを読んだか。金曜の夜と土曜の朝とで250本以上は読みました。 検索デスクのブログ検索を使った分と、面白い内容のブログにトラックバックしている所と合わせた数です。これから、収集用ソフト「Internet Ninja」にそっくり取り込んだブログが45本です。取り込むときに、私の問題意識に引っかかった中身別にマークを付けておきます。

 土曜の午後に45本を再度、読み、気になった部分を取り出してテキストを並べます。通して意味を持たせるように並べる順番を入れ替え、私のコメントを加えることでストーリーにしてしまいます。取り出したテキストは十数本あったのですが、最終的に9本だけが残りました。念のために一晩、寝かせて、翌朝、気になった細部をリファインしてから公開です。これが今回の全作業です。この間、紙は全く使わず、全てパソコンの画面上で処理します。

 これだけの作業でマスメディアが準備したものの多くを抜く、かなり突っ込んだ中身になるのですから、「衆知」を集めるのは強いのです。

 ところで、これだけの数を読んだから言わせていただくと、インターネット検索を一度も使わずにいきなり書いてしまう人が圧倒的に多いと考えられます。書き出す前に、まず立ち止まって検索ぐらいしましょう。質的向上の第一歩です。

 実は4年前に、第95回「学力低下問題の最深層をえぐる」を書いています。各所で評判になったコラムで、「学力低下」をキーワードにすればgoogleでもyahooでもMSNでもまず目に入ってくるはずです。このコラムを読まれた上で書かれている方ももちろんいらっしゃいましたが、極少でしたね。残念ながら話がややこしくなるので、今回はそういう方のブログは敢えて除いて構成しました。

 もうひとつ気になったのが、データを使わない記述です。学力問題は誰にでもオリジナルなデータがある素材です。記憶の底から呼び戻して書いてほしいところです。あるいは自分の知性で新しい断面を切り出すか。そのような努力をしないと単なる茶飲み話になってしまいます。

 これからも読むに値するブログを発掘する作業を続けますが、これまでの3作品をご覧いただいて、何がアピールするのか、他人に読ませるために書くスタンスを磨くべく、考え直してみてください。
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by ydando | 2004-12-16 22:39 | ジャーナリズム
「誰だってジャーナリスト」で、どこまで行けたか
 「学力・読解力低下で知る危うい国家戦略 [ブログ時評03]」はある意味では誰にでも書くことがあるテーマでした。自ら学校教育で学び、また親として、教師として子どもを見てと、関わってきた立場は色々でも必ず該当します。では私が先に掲げた「誰だってジャーナリスト~プロだけのものではない」との立場で「素人ジャーナリズム」の成果を検証してみましょう。

 OECD学習到達度調査のような大規模で複雑な発表は、通常、1週間くらい前に記者クラブで全資料をマスメディアに提供してしまい、解禁日まで公表しないとの「縛り」を掛けます。それから、ゆっくり各方面に取材して、当日、大きく紙面に取り上げることになります。マスメディア側には十分な余裕があります。

 今回、大きな焦点は読解力でしたが、これについてマスメディア側に目覚ましい「解読」は見あたりませんでした。読書量の減少は既知のことですし、ネットや携帯電話との関連は、証拠やメカニズムを示さないと言っただけに終わることは明白です。マスコミ業界用語で「書き得」ですが、実は「逃げ」です。

 [ブログ時評03]で取り上げさせていただいたブログは、7日の発表から3日間くらいで書かれたものです。読解力問題の意味や、高め方、その実践の難しさについて引用した論考は、マスメディアの水準を超えているでしょう。読解力の国際性や「キレやすい子どもたち」にまで展開できたのは大きな収穫だと思います。

 教科内容削減・ゆとり教育導入の影響については、お母さん二人の立場で相反する書き込みを取り上げました。でも、進学コースから外れた高校のカリキュラムの実態と、今の小学校の授業の有り様と、実情を教えていただけて、読む側には新鮮だったのではないでしょうか。少なくもマスメディアに出る話ではありません。

 生活科が登場した頃について書かれた、お母さんと元教諭の経験談も、今だからこそ次の生かすために真剣に考えるべき中身を含んでいます。「私は退職しているので、本音が言えたんですが、現職でもそう思ってる人、いっぱいいますよ」というコメントが寄せられています。個別の状況を積み重ねることは一見、無駄のようで「素人ジャーナリズム」としては大きな力になる気がしています。

 フィンランドでは成功したとされる「総合的な学習」。国内の教育現場にいた方、フィンランドに学ぼうとした方からの発言を持ち出しました。そうしてみて分かる彼我、拠って立つ基盤の差、あまりのことに呆然です。

(※注=ちょっと甘口だったかな。次のエントリーでは、どのくらいの数を読んでこの[ブログ時評03]が出来たのか種明かし、その作り方と、ブログの現状、どこを不満に思っているか、との表明をします)
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by ydando | 2004-12-14 02:09 | ジャーナリズム
学力・読解力低下で知る危うい国家戦略 [ブログ時評03]
 経済協力開発機構(OECD)による主要41カ国・地域の生徒の2003年学習到達度調査結果が12月7日に公表され、前回2000年に比べて数学的活用力が1位から6位、読解力は8位から14位に落ちた。文部科学省は「我が国の学力は世界トップレベルとはいえない状況」と言い出した。日本人生徒に白紙提出が続出した読解力の今回問題は公表されなかったが、前回分は読むことができ、落書きについて対立する二人の手紙から言い分をくみ取って記述する構成になっている。

 「極東ブログ」の「日本学生の読解力低下が問題ではなく文化差異が問題だ」は、問題の手紙文を前にして「私は、ちょっと文化的な目眩感を感じた」「私は、どっちかというとかなり欧米的な高等教育を受けたし周りに非日本人の学友もそれなりにいた。で、あいつらは、そう、こんなふうに言うのだ。そう、こういうふうに自分の意見をがなりたてるのだ」と気付く。日本人にはどうでもいいだろうと思えることでも、議論を始めたら執拗である。

 私がドイツに取材に行ったとき、通訳の人が「この人たちは同じような中身を、言い方を変えて前後3回言わないと気が済まないんですよ」と嘆息した。しかし、国際的にビジネスしようとすれば、議論とはそんな面倒を嫌っていられないものだろう。「極東ブログ」も日本人には不向きとは認めつつ「どうしたらいい? 結論はついている。こうした読解力を高める以外に日本人が今後の世界を生きていく道なんかないよ、である」とする。

 教育現場にいた経験がある人たちには、読解力低下は周知の事実である。「くろねこ@国語塾」の「日本の高校生の読解力低下」は「某予備校の現代文講師を1年ほどやっていました」「『“自尊心”を外来語で言ってくれ』と当てると『“外来語”って何?』などと返ってきて驚愕したことも数知れず。おいおい18歳超してて理系クラス、しかも偏差値高いはずやのにどーなってんねんと疑問に思ったものです。基本的な『語彙力』が足りなくなっている気もします」と明かす。

 「それ以上に、読解力は『ひと粘りする忍耐力』という側面があります。 また子どもの『粘り』=『読解力』が無い理由として、世の中総じて『感情』が先に立ちすぎている感じがします。世の中には感情論が溢れ、少し論理的に考えればさして問題でないことや解決するにはたった一つの方法しか無いことに、引きずり回され過ぎている。筋道立てて周りにも目を配りながら論理的に考えることを封印して『自分が快か不快か』だけで感情を撒き散らしていると、起こった出来事に対しての理解力・判断力が失われてしまいます」

 「キレやすい子どもたち」、社会性に乏しくなった子どもたちの姿が読解力問題の背景にあるのだ。テスト対象は、義務教育修了15歳の生徒から無作為で選ばれている。この生徒達は、まだ学校週5日制が完全実施される前に当たる。次回学習到達度調査がある3年後にはどうなるのか、非常に悲観的な声を多数聞いた。

 それではどうしたら良いのか。塾講師などの経験から導いているのが「Motto」の「読解力(1)」。現状の問題点を「・文章の内容がわからない。・思ったことを表現できない。・自分ひとりで考えられない」の3点と指摘する。「これは実際に私が家庭教師や塾講師をやって、100人くらいの生徒をみて調査した結果」。だから例えばゲームをして面白いことがあっても、うまく説明できないような子への対策として「子供たちとのコミュニケーションを保ちつつ、こちらでは無理に内容を理解しようとしない。うまく説明させる」ように辛抱強く、し向けるのだという。

 大人が子どもに聞きまくって、頭に浮かぶイメージを言葉にさせる。学校任せでは本当は駄目なのだろう。現在、米国在住の大学生による「目標へのプロローグ」の「第23回:日本人の学力低下」が、これと似通った親の行動を伝えているのも興味深い。

 「現在六歳アメリカ人の男の子の宿題とか覗いてるんですが、親が積極的に『子供と一緒に勉強または子供が何を学んでいるのか常にチェックする』と言った日本によく見られる学校・塾依存体制から一歩先に進んでます。例えば、『ジャックとマメの木』の本を読んで、『マメの木が伸びた時のジャックの気持ちを表現してみてください』とか『話のその後がどうなったのか子供と一緒に考えてみてください』などなど本当に『学校・親・子供のトライアングル』が形成されているのには驚きました」

 教科内容3割削減の新学習指導要領、ゆとり教育導入には、子を持つ親の立場からは賛否がある。「☆jasmintea7 日記☆」の「学力低下問題について」は、やむなし派である。「現在息子が通ってる高校も総合高校ですので国語、数学、英語も2、3年では必須になっていません。じゃ、何をやってるのかと言うと個々の選択にもよりますが『農業実習』『プログラミング関係』『福祉関係』『郷土の歴史』『環境問題』等などです。美術や体育、音楽も細かなジャンルに分類されています。(たとえばゴルフ、油絵、陶芸など)」「これでは絶対に基礎教科の学力は落ちますね。でも、それは詰め込み教育の弊害が多くなった時点で上記目的への転換だったのですから仕方ないと思います」

 これに対して「tsurezure-diary」の「心のデフレスパイラル@小学校」学校への不信感を訴える。「うちにも小学生がいますが、とにかく入学以来毎日学校が嫌で、給食食べるために通っているようなもんです。嫌でたまらない理由は、授業参観してよくわかりました。クラス全体が落ち着きがない。先生が話をしている途中でタメ口で茶々を入れる。親も親で、授業中であっても平気で後ろでおしゃべり、しかも携帯鳴るし」「親自身が何で勉強する必要があるのか、ということを子どもに明確に説明できなきゃどうして子どもがそれを優先事項だと思えるのでしょうか?世の中の大人たちが、一生懸命勉強したって将来たかが知れてると身をもって示しちゃってるのに、学校への信頼感なんて子どもがもてるわけないじゃん」

 新学習指導要領に先立つ13年前に、小学校に生活科が取り入れられた。今回導入の総合的学習の先駆であり、月1回の学校週5日制も導入されて6日制が前提の教科内容が消化不良を起こすようにもなる。「落ちこぼれ」ほか、この時代から様々な問題が積み重なってきたのである。

 「nanayaのひとりごと」の「学力低下の原因はどこにある?」は自らの大変さを語る。「何がどう難解だったか。わが子が小2の時の学習内容。小学校段階で一番内容的に集中して大変な学年であった。算数は毎週のように単元が変わる。しかも脈絡のない単元の構成で、時間を習ったかと思えば、次の週は距離について、次は液体の容量、そして次は2桁3桁の数の計算など。九九が入ってくるのもこの年次であった。漢字もおそろしく多い。復習する間もなく、次の新しい内容に移行する。子どもも教師もパニックになりそうだった」「『生活科』が始まったのもこの頃。教師の力量で素晴らしい授業が期待できる半面、無駄な時間だと言い切った教師もいた。私も学習会に参加して、問題点の多さを思い知らされた。まさにこのときは低学年攻撃型指導要領だと思った」

 「鴎のキャナリン(眠る知性) 」の「小学生の低学力」も辛辣である。「『生活科』ができてから、小学生の基礎学力低下が始まった。『理科』『社会』がなくなり、保育園のお遊びタイムのようになった。その上に『ゆとりの時間』で学校は『遊びに行くところ』になった。『影』の学習が3年生になった頃。『かげってなあに?』って、普通の子に普通に聞かれた時、影を知ってる子が30数名中、3人しかいないことを知った時の驚き」「3年生というと早い子は生理になる子もいる。母親になれる身体をもって、影を知らないのである。子どもは、正直。本当にそう思った 」

 調査の結果が抜きん出ている国が北欧フィンランド。公立中教員を退職して嘱託で教壇に立つ「風のたより」の「OECDの第2回学習到達度調査(PISA)の結果が公表された」は日本の教育現場との差をこう書く。

 「『総合的な学習』については、前回も今回もトップに君臨するフィンランドの実践を真似て、僕もいろいろな授業の参考にさせてもらった。フィンランドが成功していることひとつをみても、この考え方そのものが大筋で間違っていないことは確かなのだと思う。だが、教育行政のスタンスが日本とフィンランドではまったく違う。フィンランドは、教育の地方分権を推し進め、教師の資格をより厳しく(『修士』以上に)し、サポート体制に十分な予算を投じている。日本は、教育の中央集権に執着しつづけ、教師の待遇は劣悪に放置し、『思いつき』は押しつけるが金は出さない」「何か、とんでもない間違いが放置されている。『日の丸・君が代』には血道を上げるくせに、国民の文化水準をどう高めていくか、子どもたちが『賢く』成長するために何が必要なのか、といったことには何の定見もプランもない」

 人口520万人と日本なら兵庫県くらいのフィンランド。世界最大の携帯電話メーカー、ノキアがあることでも知られる。ハイテクで生きる、この小国が教育政策に失敗したら致命的だ。一方、超大国アメリカの学習到達度調査成績は低迷しており、関係者は危機感を口にするが、それほど焦っているとも見えない。一部のエリートは育つだろうし、アジアから優秀な頭脳を大量導入すれば済む。現にそうして研究開発は成り立っている。なら、日本はどうか。一部のエリートでやっていける国か。

 皆さんが論じられている通り、学力低下には文部科学省官僚の政策的錯誤が大きいと考えている。それは「勝ち組」さえも裏切るほど場当たりである。長くなるので私の過去の連載第120回「負け組の生きる力・勝ち組の奈落」の参照を勧めたい。
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by ydando | 2004-12-12 15:11 | 社会・教育
「学力低下」論じた方はTBを!!→ブログ時評に載せます
 OECDによる主要41カ国・地域の生徒の学習到達度調査結果が公表されました。既にあちこちのブログで議論が始まっています。これに合わせて、ブログ時評は今週日曜の更新で「学力低下」を取り上げます。

 ブログに書かれた皆さん、独自の分析や切り口、データをここにトラックバックしてください。読ませて頂いて、時評にまとめます。

 なお、ブログ時評はメールマガジン「インターネットで読み解く!」に載るほか、様々なサイトの皆さんの協力などもあって、数日間で数万人の目に留まる仕組みになっています。

 これまでの2回分は次の通りです。

ニートだけか、生き方の迷い子たち [ブログ時評01]

血液型性格分類とメディアリテラシー [ブログ時評02]
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by ydando | 2004-12-08 14:50 | 社会・教育
ネット・ジャーナリズムへの探求覚え書き
 ブログ時評の第2回を書いてみて、これまでの連載記者コラム「インターネットで読み解く!」とは、かなり違う場所に来ている感じがします。

 何せ、自分で見つけたり、協力して教えてもらったりして採用する議論が書かれた日付が、1週間内、あるいは2日前だったりする。googleでも1日、2日くらいの時間差でデータベースに取り込まれるようになったが、あちらでは既存の重厚な資料ウェブがやはり強い。今回はブログに探索範囲の重点を置いています。これは現在、進んでいる生の議論、進行形の言論活動をクローズアップしたいという意図です。

 ネット・ジャーナリズムへの探求、2週間目の観察を覚え書き風にメモしておきます。

(1)現在見つかるのは話題にするテーマを定めてみて、偶々発見される連関群でしかないが、「インターネットで読み解く!」型のコラム素材には耐える。

(2)トラックバックなどで形成されている連動はまだ本格的ではない。(例えば自然発生的に起きたNHK「奇跡の詩人」について現れたようなネット活動)

(3)意図的に進める「事の本質を言う」言論運動へは、各メンバーの問題意識が登録されているセンター、あるいはマップのような存在が要りそう。
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by ydando | 2004-12-08 01:47 | ジャーナリズム
自分の存在をはっきりさせて発言しましょう
 当ブログのコメント欄で発言されるのは自由ですが、原則として足場を置いているブログなりウェブなりへのリンクを明示して頂きます。純匿名での書き込みも拝読させていただいておりますが、それは別途、保存に回ります。傾聴すべき発言がありますが、私の好みで選択するのも失礼でしょう。ずっとパブリックドメインに残したい書き込みはトラックバックなりページリンク付きの形でご投稿下さい。どんな人が発言したのかは、そちらを回れば明らかになります。こういう人がこう発言したと、発言の信頼性を後から訪れた方たちが検証できるものは、内容の如何を問わず公開を続けます。

 なお、ブログやウェブなりへのリンクは自己申告ですから、虚偽ということもあり得ます。ブログやウェブの本当の所有者からメールでお知らせがあれば削除させていただきます。私のメールアドレスはdando@dandoweb.comです。

 現在は無料でブログやウェブを持つのは簡単です。匿名でしかしゃべれない方は掲示板「2ちゃんねる」のような場所を利用されればよいでしょう。この数日、固定ハンドルネームで繰り返し発言されている論客の方、是非、ご自分のブログを持たれて、内容をまとめられることをお勧めします。付和雷同せずに一人で書かれていくらのものでしょう。そちらからトラックバックをお願いします。

 なお、メールも使いたくないし、匿名で情報提供をしたい方の手段として、ここのコメント欄ではブログ開設者にしか見えないコメントが可能です。送信ボタンの左にある「非公開コメント」にチェックを入れるだけです。「ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです」と表示されているものがそれです。
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by ydando | 2004-12-05 13:17 | ネット
血液型性格分類とメディアリテラシー [ブログ時評02]
b0071191_2362848.gif 血液型による性格判断を扱うテレビ番組に行き過ぎがあり、放送倫理・番組向上機構(BPO)が「いじめや就職差別を生んでいる」との抗議をもとに民放各社に慎重な対応を求める――11月末に流れたニュースをきっかけに、12月に入っても多くのブログで議論がされている。性格から考えて娘の血液型に納得がいかず、再検査したお母さんとか実に様々。

 ABO式血液型による性格分類は、日本人のかなりが無意識に信じている面があって、ブログ上でも肯定派と批判派とに分かれる。いちいち数える訳にいかないと思っていたら、東工大奥村研が開発、提供している「blogWatcher」に参考になる機能を見つけた。キーワードの評判情報、つまり好悪の表現がブログ上に現れた数をカウントし、時系列グラフにしてくれる。ここに「血液型」を入れて調べたのが左のグラフだ。赤がポジティブ、青がネガティブな表現が現れた数である。検索の仕組みを考えると直ちに赤が肯定派、青が批判派にはならないものの、1ヶ月で6回も血液型を巡る特集番組があった10月がポジティブのピークで、11月になると急落しネガティブが上回るようになる。

 昭和初期の古川竹二による「血液型と気質に関する研究」が血液型性格分類のもとになっており、中でもB型は「他人の目を気にせず、常識はずれの行動をする」との俗説がまかり通る。「就職試験の面接担当者がB型と聞いて露骨な差別をし、それ以後はまともな質問をしなかった」などの訴えが、この問題を研究している岡山大の心理学者のウェブに寄せられている。

 11月27日から5回連続で「AB型,B型の皆さん!立ち上がりましょう!!」を書いた「宇多津日記」あたりが批判派の急先鋒。歴史や研究を述べる3回目が「第二次大戦後ひとたび息をひそめていた血液型と性格をめぐる話が復活したきっかけは、1971年、姉が古川の教え子であった能見正比古の『血液型でわかる相性』(ISBN 4413011015) 以下一連の著作であった。能見の著作には著名人の血液型リストがしばしば掲載されており、それが主張に説得力を持たせることになったものと考えられる」と、血液型性格分類が力を得るようになったのは意外に古くないことを紹介している。

 自分が大学1年のときに取った心理学授業で経験したエピソードで、性格判断がいい加減か説明しているのが「quasi recitativo」の「マスコミの害悪:血液型番組」

 「担当教授も当然同様でそれを示す為にある実験を毎年行っている。それは、教授が何型に見えるか、ということを受講者(約200人)にアンケートをとるのである」「果たして結果はというと、A型と答えた人約4割、O型約3割、B型約2割、AB型約1割と、日本人の血液型分布とほぼ同じ結果になった。教授の話によると、毎年だいたいこれに似た傾向になるとのこと」。学生が書いた判断理由は自分の血液型をもとに教授が似ているかどうか考え、似ていなければ俗説を援用して別の血液型にするパターンだそうだ。200人という母数は統計をとるには結構、有効な数であり、毎年、人口比と同じ結果になるのなら性格判断は効いていないことを示せる。

 もっと知りたければ、「ケータイ絵日記」が両派の専門家の論説などへの「血液型性格分析と疑似科学 リンク集&コメント 」を作ってくれている。肯定派なら性格への質問から血液型を当てる趣向のサイトもある。私の場合は確率最下位が正しい型だったが、ある程度、血液型性格説が頭に刷り込まれていると無意識に俗説に合った答えをしてしまう可能性もある。自分でそう信じ込むのは強い。ただし、この血液型ステレオタイプも8年間に4回約3100人ずつの大規模な調査にかけると、ほぼ見えなくなることがリンク先の研究紹介で述べられている。(もっとも研究者達は今後の研究で何か微細な差が現れる可能性までは否定しない)

 日本人の情報の受け止め方をメディアリテラシーの面でも考えている「夏のひこうき雲」の「血液型と星座と疑似科学、統計の『ウソ』、情報リテラシー」は徳島県警の「星座別に見た交通事故の特徴」を見つけて疑問を投げる。「星座ごとにあきらかに事故件数に違いがあるように見えるけど、星座ごとの人数(人口)の違いが計算に入ってない」「『どの星座の人は事故を起こしにくい』とまで書いていないけど、『時間帯別』『曜日別』『事故類型別』『違反別(第1当事者)』とそれぞれ星座別にさぞ意味があるかのように、詳しく表を作っているのはどういう意味があるのだろう」。例えば事故件数が一番多い「うお座」は金曜が要注意となっている。千件余りしかない交通死亡事故を12の星座別に分け、曜日で見ているのだ。このサンプル数で何かを言うのは辛い。

 それでも数字として示されると納得してしまうのは、問題になっている血液型特集番組でも同じ。特にテレビでは次から次に情報が流れて行くから、数字の意味を吟味する余裕が少ない。血液型別男女の相性ランクなど不思議としか言えないものにも、結果だけ飛びつく人が多い。メディアリテラシーの面から、もう少し突っ込んで血液型に切り込んでくれるブログがあったらと感じたが、残念ながら見つけられなかった。

 [寄せられた情報での追加]

 徳島県警の「星座別に見た交通事故の特徴」について、「偉そうな日記」が統計学上で有意差があるか検定をしていた。「最高速度違反の違反者が189人いて、牡牛座や魚座で21人(11.11%)、乙女座では9人(4.76%)というのを調べてみる」。危険率を1%、あるいは5%としても「この程度では星座毎に違反者にバラツキがあるとはいえない」との結論を出している。

 また、血液型性格分類への入れ込みぶりが尋常でないと思わせるデータがある。

 「憂鬱なプログラマによるオブジェクト指向日記」の「バカだから血液型性格判断を信じているわけではない」は超常現象について「菊地聡(信州大学人文学部助教授)が関西の国立大学の学生を対象に調査を行った結果」を紹介している。血液型と性格の関連を9.7%が「確かに実在」、31.7%が「どちらかと言えば実在」と答えているという。「国立大学の学生だから、無知で頭が悪い、というわけではない。中にはいるかもしれないが、平均すれば標準以上だろう。それでも4割の人は『血液型と性格の関連』を肯定的にとらえている」となる。

 血液型への信仰を「無知だから」と言って改めさせるのは、確かに難しそうである。それでもマスメディアが悪のりして広めたものだ。タバコの健康に関する注意書き表示以上に歯止めを強化して、歯車を戻す方法が全く考えられないものではないと思うのだが。
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by ydando | 2004-12-04 23:15 | 文化スポーツ
「切込隊長」氏 との論点の違いを整理する
 昨夜は時間が無く途中を省いて書いてしまったので、多数の方がわかりにくいとおっしゃっている。切込氏と、論点の一番の違いは、私はジャーナリズムの基盤を個人に置いている。切込氏は「ジャーナリズムもある種の商品を扱っている以上、その継続性、品質維持を前提として装置化するというほうが有利に決まっている」と言っているように、ジャーナリズムを企業マスメディアの方向に膨らませ、拡大したものとして扱っているように見える。マスメディアが統治のツールであるという社会的了解はいいが、個人のジャーナリストは内的な自由に発して自分の属する市民社会の中を探索し、当の事象の、その社会にとっての意味を明かすものである。この立場に立てば切込氏のように「情報を扱う企業が社員の情報を出す活動を監視しようとするのは当たり前の帰結であろう」とはとても言えないし、同意できない。

 こう整理すると、随分違うことをお互いに「ジャーナリズム」と言っている。私からすれば「切込氏のネット上のジャーナリズム」とはある種の仕掛け、マスメディアを作ることに相当するという見方になる。「産業化」と言われている方もいる。なお、個人のジャーナリズム活動は自己責任でするしかないのは当然であり、ガードするためにどこまで書きうるか吟味する作業は欠かせない。私の書いているものはその限度内にあるから、お読みいただいたところ、ご不満のようだが、切込氏の評価をもらおうとは最初から思っていない。現在のマスメディアでは書けない部分についてウェブを使っているのだ。

 遠い未来のネットジャーナリズム産業化について議論に加わるつもりはなく、このブログでの実践を通じた相互作用で今と質が違うものを生み出したいし、何かが出来るはずと思っている。「誰でもジャーナリスト」論に対して「どうしてネット上のジャーナリズムを軽々しく語ろうとするのか」と突っ込みがあったから返しただけで、切込氏と議論を続けても概念が違いすぎて生産的ではないから、ここまでにしたい。ジャーナリズムをどう捉えるか、コメント類を見るだけでもギャップが大きい。私の立場ははっきりしているので、後は読者が拠って立つ立場としてどう考えるかになる。ブログ時評を始めたばかりで、この種の議論に時間を使うより、本来の趣旨の仕事に時間を掛けたいものだ。
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by ydando | 2004-12-03 22:49 | ジャーナリズム
「切込隊長」氏の「ジャーナリズム」は「マスメディア」のことだ
 「誰だってジャーナリスト~プロだけのものではない」に対する「切込隊長」氏のトラックバックは「どうしてネット上のジャーナリズムを軽々しく語ろうとするのか」と題されているが、これは正確には「どうしてネット上のマスメディアを軽々しく語ろうとするのか」である。はっきり言って、私には「切込隊長」氏がジャーナリストたろうとしているとは思えない。氏の言っている「報道」とか「ジャーナリズム」のうち「マスメディア」と置き換えた方が適切な部分を、以下に置換して引用してみる。それが自ずと私の指摘の正確さを語っている。

《置換文》
 社会学的に見てマスメディアとは何かと議論すれば「一回かぎりの行為であってもジャーナリズムたりえる」が、では実際一度きりの情報がたとえ素晴らしいものであったとして、それがマスメディアとして機能すんのかを考えればそんなことはありえないことぐらい気づくだろう。

 また、ジャーナリズムは「装置によって稼働する『情報産業』ではない」という引用がされているが、マスメディアもある種の商品を扱っている以上、その継続性、品質維持を前提として装置化するというほうが有利に決まっている。

 同様に、報道する装置、マスメディアというものは多かれ少なかれ統治のツールであって、本質的に「個人でもジャーナリズム」という議論の延長線上に来るものではなかろう。《ここまで》


《原文も挙げておく》
 社会学的に見て報道とは何かと議論すれば「一回かぎりの行為であってもジャーナリズムたりえる」が、では実際一度きりの情報がたとえ素晴らしいものであったとして、それが報道として機能すんのかを考えればそんなことはありえないことぐらい気づくだろう。

 また、ジャーナリズムは「装置によって稼働する『情報産業』ではない」という引用がされているが、ジャーナリズムもある種の商品を扱っている以上、その継続性、品質維持を前提として装置化するというほうが有利に決まっている。

 同様に、報道する装置、報道機関というものは多かれ少なかれ統治のツールであって、本質的に「個人でもジャーナリズム」という議論の延長線上に来るものではなかろう。《ここまで》


 私も職業的ジャーナリストとして20年以上、生きているが「統治のツールであろうとしたことなど」ただの一瞬もない。氏のエントリーのトラックバックを参照すると「切込隊長」氏の、この意見に賛成する方がいらっしゃるようだが、氏の「2ちゃんねる」的ファンの底の浅さ、志の低さが滲み出ている瞬間に出会わせたと感じる。あなた達はそんなジャーナリズムを欲しているのか。そんなことをこれまで書き連ねてきたのではなかろう。「2ちゃんねる」の最良の部分はもう消えてしまった。皮肉を込めて申し上げる。

 ジャーナリズムが何かが判ってから、それをブログの世界でどう展開するのか、実社会にどう影響させるのか、議論するのは意味があると考えるが、いきなりマスメディアの機能をどう持たせるか議論するのは全くの無駄である。

 ところで「R30」氏は「ネットジャーナリズム・ウヨサヨ論」で「何で切込隊長とか湯川氏とか僕とかがこんなに口角泡をとばしてネットジャーナリズムの産業化の可能性について議論してるのか、全然わかんなくなっちゃうじゃーん」とおっしゃっている。お気遣い無く、ご自分のペースで議論をされたらと思う。
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by ydando | 2004-12-03 00:22 | ジャーナリズム