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by ydando
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カテゴリ:世界( 18 )
反日デモ始末に苦渋の続きを思う [ブログ時評20]
 日本の「対華二十一箇条要求」がきっかけで生まれた排日運動「五四運動」の記念日5月4日も、中国本土では大きな反日デモは起きず、4月16日に上海などであったデモを最後に今回の異常事態は収束したようだ。しかし、中国国内では言論の自由を奪う形すら取られて圧殺されたのであり、日本側では折りしも盛んになっている右翼的な、威勢の良い対中論調をネット上で繰り返し読まされた。短期的にまた再発必至の苦渋の事態だから、落ち着いたときこそ考え始めねばならない。

 検索エンジンGoogleが返す検索結果リストは、リンク数調査を利用したネット上の人気投票ランキングにもなっている。「反日デモ」のキーワードで10日ほど前からウオッチしていると、マスメディアのサイトを除けば、いつも上位にあるブログは「反日デモ」(田口ランディのアメーバ的日常)「内田樹の研究室:反日デモの伝える声」だった。

 田口さんは「反日運動の果てに、民衆のエネルギーが炸裂したとき、人民を粛清するのは日本じゃない。中国政府だ。そうならないために、どうしたらいいんだろう。日本はどういう行動を取れば人命を失わずにすむか」と書いているし、内田さんは「私が聴き取った彼らからの声は『日本人よ、私たちに届く声で語ってはくれまいか?』というメッセージである」と述べている。我々が考える出発点としてふさわしい言葉が、ネット上で支持されているのはうれしい。検索結果リストの上位に日によって、十分に思慮したとは思えぬ、殴り書きの対外強硬論が現れるのは、現在のブログブームの一面だが。

 今回、中国政府がネット上で反日サイトを閉鎖し、携帯電話のメールも含めて検閲する姿勢を公然と打ち出したのには、苦し紛れであれ驚いた。巨費を投じてネット監視システムを建設中とは聞いていた。信書の秘密まで侵すと言い出す国が21世紀の世界でリーダーになる――桁外れのミスマッチだから、中国首脳部は不思議に思わないのだろうか。「ネット検閲がもたらす究極の監視社会」(メディア探究)にネット上の情報源も含めて紹介がある。中国に持ち込んだノートパソコンで実験したとの報告もトラックバックされている。

 中国情報局に「北京の息吹」というコラムがあり、1990年北京理工大卒で自ら親日派と呼ぶ祝斌(しゅく・ひょう)氏が連載している。1月20日付の「対中ODA議論で思うこと、『感謝』は意味あるか?」は3兆円にのぼる対中国の円借款を数年前まで知らなかったと記している。今では「北京の地下鉄に乗る時に『円借款のお陰』」とも思えるようになったが、「北京首都国際空港の玄関の前に『この空港の建設では円借款を使っていた』と書いた看板を掲げたらどういう光景になってしまうかも想像してみた。多分、この看板を見た中国人乗客は、豪華な天井から、戦争によって死んでしまった先人の悲しみ恨む目が見えてくるような感じがするかもしれない」と述べている。その上で「中国人の屈辱感」を長引かせるODAは廃止してよいと考える。

 この人の思考は、円借款の存在すら知らぬ中国人大衆の10年は先に進んでいる。いまインターネット利用者は1億人にもなり、10年待てば変わろうが、再び苦渋の時が訪れるまで、そう待ってくれまい。2008年の北京五輪を成功させたいとの強迫観念が強いこの3年間こそ好機と思う。欧米やアジアの反応を中国政府も無視できなくなっている。政府間だけでなく、民間からもメッセージを送りつづけよう。親日派にして上の思いである。日本が送らなければ変わるものも変わるまい。

 対中国の守勢と違い、日本が攻勢にある問題を「日本の自動車産業は世界を幸せにしない [ブログ時評18]」で書いた。外国の事情が絡んで、どちらもすっきりした解決策など考えにくい。苦渋が取り返しがつかない悲劇に進まぬよう、なるべく多くの人が事態の行き先に気付き、阻むべく模索を始めるしかない。そんな空気を醸していきたい。
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by ydando | 2005-05-04 20:24 | 世界
反日デモ:中国内サイトは続々閉鎖中
 反日デモの情報を流していた中国内のサイトが、中国当局の指示で続々、一時閉鎖になっているようです。見えていたサイトに行っても警告のような漢字が並んでいるだけです。第一次大戦中の1915年に中華民国に対して日本が「対華二十一箇条要求」を突きつけ、それがきっかけで生まれた排日運動「五四運動」の記念日5月4日を前に、中国政府は統制強化に躍起になっているのでしょう。効果のほどは全く判りません。何せ1億人がインターネットを使う国ですし、もしその気があれば国外のサーバーを使うことも可能なはずです。

 ウオッチする窓の代わりにと思って、日中翻訳掲示板「上海クイーン」も眺めています。多少は中国国内の感じが見えます。和解を訴える人もいるけれども、多くのスレッドは日中のやり合いになっています。それにしても機械翻訳がまずいですね。

 【追補4/21】デモの現地写真も見えなくなってきましたが、どこかのブログの紹介で「上海反日游行」があるのを知りました。デモの光景、上海総領事館や日本料理店の破壊など35枚がスライドショウになっています。米国にいる方がMSNに置いているものです。游行はデモ行進のことです。ピクニック気分です。

 【追補4/22】中国情報局は22日になって「公安局:反日デモ封じ込めへ、ネット情報を禁止」とのニュースを伝えています。「ネット、携帯メールを通じての関連情報の流布を禁止」とありますから、メールを大規模に盗み読みしていることを認めたも同然ですね。

 【追補4/26】上海デモでの破壊行為で逮捕者が出ると同時に、江蘇省の公安庁が反日デモをインターネットで呼びかけた元大学生を拘束しました。
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by ydando | 2005-04-20 19:36 | 世界
たばこ事情に見る中国も大変
 世界の喫煙人口11億人のうち3億2000万人は中国人とされる中国のたばこ事情を、中国情報局の「たばこ大国中国、問題知りつつ税収1割頼る現実」で知った。発効した「たばこ規制枠組み条約」の関連でヒットした記事なのだが、中国は調印しても、まだ批准していない。

 中国のたばこは、軽い味が主流になった世界では例外的にヘビーで、輸出できないと言われる。その「たばこ税」で国家税収の1割前後も稼いでいるという。昔の日本のように専売制で、たばこ農家も「重い」葉を栽培していて方向転換は容易でない。当然、たばこ規制には異論が出る。ちょうどJMMで配信された『大陸の風-現地メディアに見る中国社会』第40回「たばこのけむり」には「たばこ業界は我が国国民経済の支柱産業の一つである。昨年の税込利益は250億米ドルに達し、前年比3分の1近い伸びを示した」(毎日経済新聞)とある。

 関連記事リンクをたどると、「中国:タバコ消費大国、未成年者の喫煙が深刻」に行き着く。「中国衛生部が実施した調査では、大学、高等学校、中学校の男子学生ならびに生徒の喫煙率は、順に46%、45%、34%に達している」そうだ。日本の「この1ヶ月にたばこを吸ったことがある」と答えた者の割合とほぼ並んでいる感じだ。家庭がかなり甘いと伝えている。

 本国では、たばこ規制枠組み条約で追われる立場の海外たばこメーカーは、中国に軽い味のたばこを売り込む構えをしている。日本だって私の連載第135回「たばこ依存脱せぬ日本人を考える」で書いたように決して誉められたものではないのだが、経済発展の中でたばこが広まっている中国は国民の健康との兼ねあいで一段と難しい立場にあるようだ。
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by ydando | 2005-03-04 00:59 | 世界
予測不能なイラクの明日
 もう何ヶ月も前からイラク国民議会選挙の日、1月30日がどうなるのか、注視してきたのですが、予想された混乱に加えて、先行きが予測不能と思わせる情報が出ています。この選挙は将来に大きな禍根を残しそうです。

 まず、スンニ派住民が投票するのはやはり無理。29日付の「新イラク取材日記」「出発前だが・・・バグダッドからのメール」に、イラクの友人から送られた「誰も家の外を出歩けない」生々しい状況が出ています。「戦闘は一日中続いていて、夜も寝られない。私達は床で寝ることにしたよ。爆風で、窓やドアのガラスの破片が飛んできて怪我をしたり死んだりしたくないから」。投票所からの報道では見えてこない現実です。

 その一方で、各地にいるスンニ派の武装抵抗勢力が連合して政治的な要求が出来るまでになってきているのも事実です。選挙後には、スンニ派多数が参加できなかった選挙の正当性を激しく問う行動に出ると考えるべきでしょう。

 もうひとつの火種、北部にいるクルド人勢力は「自治か独立か、イラク・クルド人自治区で住民投票」を議会選の投票箱の横に、住民投票箱を置いて実施するそうです。住民団体が音頭を取る非公式投票ながら、クルド住民の意思が独立に向かうであろうことは容易に想像できます。

 スンニ派が異議を申し立て、クルド人勢力も独立に走るとすれば、投票実施に熱心な最大勢力のシーア派との間で内戦にもなりかねないでしょう。シーア派が主導しそうな新政府と言えば、長期の駐留が必要と言い出している米軍には撤退する気持ちはさらさら無いようですから、現在の暫定政府が選挙後は傀儡政権と呼ばれる恐れ大です。


(※今週は所用があって時間が取れなかったので、日曜日更新の「ブログ時評シリーズ」はお休みです。)
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by ydando | 2005-01-30 20:10 | 世界
大津波の援助を届けることの難しさ
 インド洋大津波に対する各国の資金援助の表明は順調だが、CNNニュース1/7で国連は、1年前のイランの古都バム地震で「各国が約束した計10億ドルのうち、これまでに約1750万ドルしか払い込まれていない」と額面通りには受け取れないとの見方を示している。約束不履行のケースは過去の災害に何度もあるという。

 日本政府は早期に払い込むとの姿勢を鮮明にし、大津波に対する無償資金援助5億ドルの半分は2国間で供与する方針だ。そのうちタイに贈ろうとした20億円を、タイ政府は辞退してきた。この分はインドネシアへの130億円、モルディブへの16億円に積み増されるという。自立して取り組もうとするタイ政府の心意気は買いたい。同時に少々憂鬱になった。この巨額のお金が全て有効に使われることはまずあり得ない。この地域のODAは中間搾取が酷いと言われ続け、特にインドネシアの腐敗体質は有名だ。

 JMM[JapanMailMedia]のNo.304「カオラックのひとたち」は津波にあったアメリカンスクールの先生からの体験談メールを、春具さんが翻訳して読ませてくれる。悲惨な体験の後、ホテルに戻っても電気も明かりもない状況で、身内が行方不明になっているタイ人の若い女性イドさんが、うろうろしている50人ほどの旅行者にタイカレーの炊き出しをしてくれたそうだ。この話がBBCなどで流れると、隣人や見知らぬ人からも寄付金が500ユーロ単位(日本円なら約7万円)で「イドさんに渡して」と次々に届くようになったという。家族会議を開いて300ユーロを500ユーロに増額した家もあった。

 手から手への支援が出来ないならどこが良いか。今回の国連支援で大きなニュースは、緒方貞子さんが前のトップだった国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が、被災者が膨大なことから難民が対象でないにもかかわらず動き出したことだろう。緊急支援アピールにも具体的にどの国でどんな内容かが書かれており、百万人を超える人たちに仮設住居や救援物資を、なるべく公平に届けるには実績を考えても一番かと思っている。
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by ydando | 2005-01-10 19:03 | 世界
大津波で問うNHK国際TV放送の失態 [ブログ時評06]
 インド洋大津波の発生から2週間になる。地震はマグニチュード9と大きかったが、かなり沖で発生したために陸地部の震度は大きくないことが判明した。死者・行方不明の合計18万人に迫る被害のほとんどは津波がもたらした。ブログ上での情報を整理しているうちに、とても重大な視点が見落とされていることに気付いた。アジア・アフリカで広く見られるNHKの国際テレビ放送が東京発のニュースで「スマトラ沖でM8.3の地震がありました。かなりの被害があった模様です」と流しながら「日本での津波の影響はありません」としかコメントしなかったのである。

 インド洋の島国モルディブに、半年遅れの新婚旅行に来ていた「リーマン成金計画☆生きてるだけで丸儲け☆」の作者は、朝6時に大きな揺れを感じて目を覚ます。7時過ぎにテレビのチャンネルをNHKに回して上述のニュースを聞いて「ガクッ。『知りたいのはモルディブへの影響に決まっとるやろ!』とTVに虚しいツッコミを浴びせ、朝食に向かう」

 夫婦のコテージに濁流が押し寄せてきたのは2時間後の午前9時半ごろ。岸までたどり着こうと流木につかまったりしながら二人で必死に泳ぐ。作者が水上バーの柱にしがみついて振り返ると、妻が濁流で沖に引き戻されるのが見えた。その時、バーのスタッフ二人が濁流に洗われている桟橋を危険を冒して駆け、妻の救助に向かってくれた。作者も3番目に走った。桟橋の先につかまった妻はスタッフが引き上げてくれた。

 スタッフの行動はいくら感謝してもしきれない良い話だが、翻って商業マスメディアの中でも新聞に身を置く者として、NHKの国際テレビ放送は視聴者との契約関係を忘れていると糾弾したい。新聞業界の古い言葉に「読者への忠誠心」がある。色んな意味を含むものの、ここでは地域性にしぼろう。新聞の場合、印刷される時間帯により配達地域が決まっている。その時間帯の新聞は、当該地域社会での価値観・有用性を盛り込んでつくられる。全国紙の視点も大事ながら、当該地域に配慮した記事差し替えなど日常茶飯事で行われる。そういう暗黙の契約で購読料をいただいている。

 民放は視聴者と契約関係にないが、新聞社が出した資本が大きいためもあり新聞に準じた関係をつくっている。NHKは受信料を取っている以上、明らかに視聴者と契約関係にある。通信衛星を使っている国際テレビ放送「NHKワールド・プレミアム」なら毎月テレビ1台3000円の料金を取っている。ホテルでの契約額は交渉次第で変わるようだが、料金を取って見せている事実は同じだ。M8級の海洋地震が起きているのだから、東大地震研の先生を探せば必ず津波の危険性があるとのコメントは採れる。「日本での津波の影響はありません」の後に「なお、東大地震研によるとインド洋地域では津波に警戒する必要があります」と付け加えるだけで、放送を見た日本人やその周辺にいる人たちは身構えたはず。

 太平洋の津波警戒システムからの連絡は緊急性の質はともかくとして、インドネシアとタイには届けられた。両国とも観光政策への配慮などで生かせなかったが、インドやスリランカ、モルディブには全く連絡は行かなかった。でも、NHKの国際テレビ放送を見た人はインド洋地域に多数いたはずだ。地震国日本からのメッセージが惨事の様相を変える可能性があった。国際配信しているのは子会社のNHK情報ネットワークだからという弁明は通用しない。

 もっともっと公的な義務を忘れている例として、酷い現地報告がある。「そよかぜ日記」の「2005-01-06 スリランカ津波被害者の手記」は女性が書いた長文レポートだ。津波襲来で自分の小さなバンガローに逃げ込んだが「気がつくと私の体はあっという間に天井まで持ち上げられ、天井まであと20㎝というところで頭だけ出して浮いていた」「私は下水の真っ黒な水であふれた水中にもぐりこみ水の下に消えたドアをくぐり外へ泳いで自力で脱出した。この判断までにおよそ1,2秒だった思う。今思えばそのチョイスをミスれば私はここにいなかった」

 この女性が現地の人に助けられながら、命辛々コロンボの日本大使館にたどり着くと「パスポートの再発行には10250ルピー(約1万円)が必要でお金は貸せませんというではないか。愕然とする。津波より怖い日本大使館!」「ロビーに誰もいなくなって一人で待っている間も涙がぽろぽろ出てきて困った。セキュリティのスリランカ人がどうしたのか?と小さな声で聞いてきたので、津波で全部なくなってしまった。2日かけてウナワトナからキャンディ、コロンボにたどり着いたけど、お金を貸してくれないといっている。お金がないとパスポートも再発行できないし、お腹も減っていて疲れていると答えた。悲しいというよりも惨めだった」

 邦人保護を最大の仕事にする現地大使館が、津波から2日も経ってまだスイッチが入っていなかった。あきれるばかりだ。女性が大使館の暗いロビーで着の身、着のままで一夜を明かし、大使が出てきて待遇がよくなるのだが、その時には女性はもうこんな所にいたくないという気持ちで一杯だった。

 最近しばしば思うことに、我々の社会のプロフェッショナルは本当に「プロ」なのだろうか。その場、その場で降ってくる仕事を、前例の手順通りに垂れ流し処理して済ませているのではないか。ブログを書くのは現状ではプロの仕事ではないかも知れないが、もっと目的意識を持ちマスコミに出ていない一次情報を探して挑んで欲しかった。そうでなければ日本のブログ界がマスメディアを脅かすような時期は永遠に来ない。今回は日本語情報の集積が遅れ気味で、比較的良くできた「プーケット津波情報総合(スマトラ沖地震)」でも年末はマスコミ情報だけ、1月8、9日になってようやくブログ系のオリジナル情報がそろい始めた。新しい視点はまだまだ発掘できよう。

 ※注:プーケット津波情報総合のブログ情報収集は下のコメント欄にある通り、27日から始めたそうです。
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by ydando | 2005-01-09 18:04 | 世界
インド洋大津波にもっと視点を
 今週末のブログ時評は「インド洋大津波」で行こうと決めたのですが、予備リサーチではかなり淡泊な印象です。

 既に経済界からも「援助額だけ多くて、顔が見えない」との批判も出ています。パウエル国務長官は現場に出向くのに、日本の外相はなぜ?。今日、明日のニュースで触発されることが多いとは思います。昨日正午、欧州は一斉に鎮魂の時にしたのに・・・などの批判もあります。

 この災害はこの世紀の何か重要なものを変えるのではないか、と思えるほどの凄みがあります。日本のブログ界が何を考えたかも歴史上の評価対象になり得ると思います。
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by ydando | 2005-01-06 03:41 | 世界
グローバル競争社会化の元凶は日本 [ブログ時評05]
 ニートについての議論が奇怪なほど盛り上がりを見せ、国際調査データが発表された学力低下問題と合わせて、ブログの世界で教育についての関心が高まっている。底流は競争社会からのドロップアウトへの関心だろう。そんな中で、競争社会で子どもをどう育てるか議論しているグループを見つけた。「ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘」の「競争社会を生き抜くために(2)」や、「at most countable」の「やっぱり『子供は大人社会の鏡』だと思う」を中心にしたエントリー、トラックバック、コメントである。

 「競争社会を生き抜くために(2)」は「人格が形成される時期から、競争・勝ち負けを体験し、想像力・創造性を養う――この2点が必要だと思います。
そして、残念ながら、今の社会は、この2点に加速しながら逆行していっていると思えてなりません」と学校教育の現状を指弾する。親たちの過敏なまでの反応・圧力でそう出来なくなっている点について、「やっぱり『子供は大人社会の鏡』だと思う」は「勝ち負けに対して大らかでいられなくなったのは」社会全体の風潮が「『勝ち負けが全て』みたいな価値観が支配的になってしまっているから、学校現場の他愛のない『勝ち負け』すら『シャレにならなく』感じられてしまう、そう思えるんです」と応えている。

 ニートを巡る様々な議論を読んで感じたことであるが、いま個人が立っている地点では納得できる事柄かも知れず、若い世代の方がブログを書いているとしたら、社会に目を向け始めた頃は既に90年代の「失われた10年」だったかも知れない。そこからの長い長い閉塞で、年長の方にも、今あることがずっと続いているかの錯覚に陥っていないか。戦後日本史だけでなく世界まで目を広げた同時代史の視野を持てば、自ずと違う見方が出来る。

 まず第一に知って欲しい。競争社会は海外から押しつけられたものではなく、グローバル競争社会化を仕掛けた元凶は日本なのである。99年に私の連載第68回「日本の自動車産業が開いた禁断」でこう書いた。

 日本自動車産業で開発され「日本の専売特許のように思われていた『リーン生産方式』は、世界中に広まってしまった。私はこれがもてはやされた始めた頃から、ふたつの点で懐疑的だった。まず、労働は人間文化であり、社会の存在のありようと密着している。その国の労働のありようを根こそぎ変えることが許されるのか」「もうひとつは、現実に起きていることである。総合的(全社的)品質管理TQCは偉大な成果を挙げたが、所詮はきちんと測定して統計データを採っていけば、誰にでも可能なことである。きちんとやり通すことは日本人の専売ではない。徹底的にやるという意味では、米国人に歩がある」

 90年代初頭のバブル崩壊と経済財政運営の失敗で始まった「失われた10年」の印象が強烈過ぎて、80年代に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と米国を凌駕するとまで謳われた時代に何があったか忘れられていよう。日本の自動車産業や家電産業は「安かろう悪かろう」から出発して、世界を押しまくり、結果として世界の労働文化の多様性を大いに壊した。

 その優位性は物づくり現場周辺に限られ、豊かな創造力はソニーなどほんの一握りのメーカーが具現しただけだった。独自労働文化が倒され、何でもありになった欧米の産業界にとって追いつくのは苦ではない。さらに経営者を含めたホワイトカラーの力量差はもともと大きく、政治・行政を含めた立ち後れはどんどん進んでいる。それは第69回「続・日本の自動車産業が開いた禁断」で描いた。90年代初頭の崩壊劇が無くとも逆転必至、いや、あの崩壊劇そのものが政府にもアカデミズムにもマスメディアにも一国の経済運営を見通す眼力が無い、「砂上の経済世界一」の証明であった。

 「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の80年代、教育の世界でも大きな変動が起きていた。学校内が安全でなくなる事態、子ども同士が傷つけ合う――これまでの常識になかった。私は第95回「学力低下問題の最深層をえぐる」で「プロ教師の会」を主宰する中学教諭の河上亮一さんの発言として、起きている事態をこう紹介している。

 「十数年前からそれ以前と全く違った『新しい子ども』たちが登場したのではないかという感じを持っています」「特徴はひ弱で、しかも他方で非常に強いと言いましょうか、攻撃的と言いましょうか」「生徒たちは学校で学ぶ姿勢というんでしょうか、学ぼうという意欲を大幅に低下させているという気がします。30年前の中学生と現在の中学生を比べますと、学校での学ぶ姿勢は大きく低下していると思います」「基本的に学校というところで何を学ぶ必要があるのかないのか、こういうことが子どもも含めて親についてもはっきりしなくなっているんではないだろうか。こんな感じを持っています」

 この世代こそ「団塊の世代ジュニア」であり、団塊の世代の生き方をコピーしていた。もちろん、華々しい学園闘争などを戦った青春像のコピーではない。戦後の知性を批判し、偶像を破壊した割には自分たちが主役の時代になっても新しいものを生まなかった。いや、主役になろうとせず、「老害」と呼ばれる世代に喜々として追従し続けた。第一次石油ショックの前に社会に出て就職してしまい、成長社会の中、右肩上がりの安寧をむさぼり、前例踏襲主義の管理職になり高収入を得てきた。その生き方の反映である。

 この世代に対して採られた国の迎合施策が、世界に冠たる存在だった教科学習の間引き、ゆとり化、受験戦争の表面的な緩和だった。

 一方、グローバル競争社会化に対処するため高等教育に期待が掛けられるはずだったが、理系も文系も研究者たちには他流試合を挑むどころか、自分の周辺に深い蛸壺を掘るスタイルが蔓延した。国際級の研究成果なら世界共通基準で価値が計れたが、多くの研究は「蛸壺」の外に出してみると、どこで何と関係しているのか、どんな価値があるのか見えなくなった。第74回「大学の混迷は深まるばかり」では以下のように言うしかなくなった。

 この国の大学と大学生から世界に通用するベンチャーがなかなか生まれない理由も、自ずと明らかだろう。我々の社会が持つ大学教育の「仕組み」は、酷な言い方をすると、個性的、創造的なものを排除する方向にある。本来、大学は創造的な空間のはずだが、何が創造的なのか、私の体験で述べたように大学人にも分からなくなっているのだから、創造的であり得ようはずがない。

 団塊の世代を含む中高年層は、自ら起こしたグローバル競争社会化のツケを次世代にまるまる負わせて良いのだろうか。小泉改革の登場に、私は大甘を承知で、英ブレア政権の改革とダブらせてエールを送った。しかし、労働党の変革と一体になっている英国と違い、小泉「個人芸」改革はやはり本質的な改革になっていない。企業は国際競争の激化、業界ごとの横並び・護送船団方式崩壊から業務外部化や派遣労働導入で社員採用のハードルを上げた。ここに至っても最後まで新しい社会像を作ろうとしなかった団塊の世代は、家庭内でもニートやフリーターのような逃げの存在を作り出した。このまま退場して年金生活に入るのなら、二重の意味で罪作りではないか。
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by ydando | 2005-01-03 16:51 | 世界