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by ydando
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カテゴリ:ジャーナリズム( 41 )
誰だってジャーナリスト~プロだけのものではない
 素人が参加するジャーナリズムについて最近、ブログの上で読むのが大変なぐらい長くて、熱い議論が交わされてきました。そんなに難しいことかいな、シンプルな話ではないか、と私は思っています。基本は「誰だってジャーナリスト」なのです。マスコミュニケーションという現象と、ジャーナリズムという理念をごっちゃにしているから、何について話しているのか錯綜して通じなくなるのです。

 親サイトにある第150回「ネットと既成とジャーナリズム横断」の前半部に書いた通り、ジャーナリズムとは当該市民社会において「隠されがちな事実を伝え、見えなかった意味を言う」ことなのです。これはプロにも素人にも限定されません。そのあたりのいい加減なプロより、特定の分野に限ってはずっと詳しい素人が輩出しています。その素人の皆さんがプロに書けない「見えなかった意味」を明らかにしてもらえるなら、立派なジャーナリストだと考えます。

 「それはお前だけの意見だろう」と言われるかも知れないので、社会学の野村一夫さんが開設している有名なサイト「ソキウス」から「社会学感覚 12 ジャーナリズム論」を開いていただきましょう。「ジャーナリズムとはなにか」の項で亡くなられた新井直之さんの言葉を引きながらこう書かれています。

 「一回かぎりの行為であってもジャーナリズムたりえるし、組織である必要もない。『ジャーナリズムの活動は、あらゆる人がなし得る。ただ、その活動を、日々行ない続けるものが、専門的ジャーナリストといわれるだけなのである』。組織ジャーナリストやフリー・ジャーナリストはもちろん、公害企業の内部告発者も、地域の問題にとりくむ市民運動家も、ジャーナリズムの主体たりえる」

 このジャーナリズム論には是非読んで欲しい指摘が随所にあります。例えば「ジャーナリストの内部的自由」の項です。「しばしば誤解されていることだが、そもそもジャーナリズムは装置によって稼働する『情報産業』ではない。ジャーナリストの主体的な現実把握・解釈・表現行為があってはじめてなりたつ主体的な活動である。したがって、ジャーナリストに主体的な活動の自由がなければ本来のジャーナリズムは実現できない」

 社員がインターネットのホームページに何を書くかまで規制してくるマスメディアのありようは、かなりおかしいのです。

 増補部分「ジャーナリズムの社会学へ」の項にある次の指摘も、目から鱗が落ちる思いがされる方があるのではありませんか。

 「マス・メディアの問題を『報道』として問題にするとキャスターのコメントは『よけいなもの』として問題化されるが、『ジャーナリズム』として考えると、コメント行為自体は当然視され、内容吟味に焦点が向けられる。その意味で今なお『ジャーナリズム』は誤解されているように思う」
 「この誤解の源は日本の新聞界が長年標榜してきた『客観報道主義』を人びとが信じていることにある。この素朴な幻想が現実に破綻していることを知りながらも、いざマスコミ批判を口にするとき人びとはこの幻想に無自覚に乗ってしまうようである」

 ジャーナリストが虚偽の「意味」を吹聴しては話になりませんが、素人の皆さんも自分の知性・感性を磨いて現実世界を探索して「隠されがちな事実を伝え、見えなかった意味を言う」しか、なすべき事はありません。

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 《トラックバックやコメントをされた方たちへ》ようやく[ブログ時評01]を公開しました。いろいろ期待していただいたことに感謝しています。ブログの性質上、「インターネットで読み解く!」の連載よりも短く仕上げることにしています。「ニート」の場合はこれが限度でしょうか。是非、取り上げているブログの生の主張を読んでいただき、栃内さんの言われるような「大きな言論空間を実感」してください。岩波書店の月刊誌「世界」新年号(12月8日発売)の座談会「『言論』の場をどこにつくるか~ネット・ジャーナリズムの可能性」がこのブログの出発点ですから。
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by ydando | 2004-12-01 02:38 | ジャーナリズム