◆新ブログに移行します◆Blog vs. Media 時評blog.dandoweb.comへどうぞ ――――――――――― ネットジャーナリズム活性化のために3/9=圧縮音楽の改善2/11=失敗国家と紙消費2/9=「ウェブ通」リンク集
by ydando
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カテゴリ:ジャーナリズム( 41 )
ライブドアPJへ:自ら出発点の欠陥を正すのが先だ
 ブログでやり取りすれば済む程度の主張を、名誉棄損だとかライブドアPJニュースの場で声高に叫んでいるのを、嗤っているブロガーが多い。相手と同じレベルの愚を犯したくはないのだが、「顔を洗って出直しなさい」とは言わざる得ないだろう。話の発端になったのは「特集・パブリック・ジャーナリスト宣言(1)」である。引用しよう。

   すでに、『マスコミ』からは、日本のブロガーらアマチュア・メ
  ディア表現者らの中では「(議論ができる)準備された市民」は少
  数派で、ここでいうパブリック・ジャーナリズムについて「その計
  画は無理ですよ」などと、さげすむ声も聞かれる。

 私は「ライブドアPJに忠告し忘れた欠陥 [ブログ時評10]」で「ご当人達が意気込んでいるほどにはジャーナリズムの世界で注目されていまい」「『マスコミ』からの唯一のレスポンスを、私の連載第150回『ネットと既成とジャーナリズム横断』から取っている」と指摘した。これは暗に、他人の文章から引用しておきながら、引用元も示さないのは違法ですよ、とも言っているのだ。

 筆者の小田氏は私のトラックバックを無視したので、頬被りを決め込むのかと思っていたら、今回「PJニュースに出稿し、その中で、団藤氏のコメントを引用して」と認めてきた。それなら、他人にとやかく言う前に引用元を示さない違法行為をまず解消するのが、最初にすべきことだ。マスメディアの世界では、こうした違法行為のクレームが付いた記事は全文削除が一般的であることも申し添える。

 小田氏がこれを是正できないのには理由がある。パブリック・ジャーナリズムという妖怪がジャーナリズム界を徘徊していなければ困るのである。妖怪である以上はマスコミの誰かが気にしていなければならない。誰も気にしていないなら「●●症の徘徊」以下である。それで無理やり、私の文章から取った。今回の反論で、さらに論理の矛盾が露呈して失笑を買っている。「ネット掲示板にありがちなプライベートな言説なので、そういう見方もあるのかと見捨てておいた」という場所が、小田氏の言う『マスコミ』だったのである。捨て置けない雑誌「世界」よりはるかに小さなステージを『マスコミ』と称して、読者を欺いたレトリックの詐術。今更、是正できないはずである。

 明瞭な違法行為と読者への詐欺行為を解消してから、改めて出直していらっしゃい。ついでに、一年生記者みたいに、データのはめ込み方がしどろもどろでない、一読して判る文章をお書きになることを求めたい。
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by ydando | 2005-03-28 18:38 | ジャーナリズム
ブログの現状はそれほど素晴らしいか
 ブログの世界で「アクティブ」と目されている方たちから不満の狼煙が上がっているようだ。「新たに生まれたブログの世界は素晴らしい」と新参者が賛美しないのが、お気に召さないと見える。ブログは現状でマスメディアのレベルを凌駕しているという幻想に酔いしれている方たちは、素直に見直して欲しい。今年にはいってからだけで結構だから、私がブログ時評シリーズで書いたものを読まれると、ブログの知のレベルが自ずと見えるはずだ。意図的に選んだテーマではなく、どんどん起きる時事問題から自然な成り行きで毎回、多数のブログを収集して読み、書いたものだ。私はこのレベルで満足してもらっては困ると思っているから、ブログ時評シリーズで指摘している。

 「BSEはメディアリテラシー力を問う [ブログ時評15]」の分析では、中身の濃いと見られるブログでも多くがミスリードしている実態が浮かんでいる。文中にある15編とは言わず、私が集めた60編ほど全体でも真の問題点を理解していないものの方が圧倒的に多い。一つひとつの書き込みの意欲は大いに買ってよい。しかし、「もっと勉強しようよ」と言わざるを得ない。書き出す前にGoogleで検索するだけでも随分違うと、前に書いたと思う。自分の感性を信じるだけで現在、次々に発生している事象が語れるほど単純であろうはずもない。

 インターンネットの情報の99%はゴミであるというのは、生まれた当初から言われていることだ。もちろん、情報のやり取りをしている当事者にとっては、世間話であっても意味がある会話であり、ゴミかどうかは情報を探している人の立場による。キーワード検索が引き出してくれるリストは、その市民社会の知のレベルが現れているとも言える。はっきり言ってGoogleが返してくれる検索結果の質は、落ちている。言論は自由。だからこそ、ネットの書き手は考えねばならない。プロだと言っている人なら、もっと考えねばなるまい。


 ★3/29追補=続きはブログの自律的な情報組織化が欲しいに移っています。
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by ydando | 2005-03-23 00:32 | ジャーナリズム
ライブドアPJに忠告し忘れた欠陥 [ブログ時評10]
 ニッポン放送株の電撃取得、フジテレビ系列メディアの支配でも目論むのかと世情お騒がせなライブドアが今度はPJ(パブリック・ジャーナリズム)ニュースを立ち上げた。「特集・パブリック・ジャーナリスト宣言(1)」はマルクスとエンゲルスによる「共産党宣言」冒頭を文字って始まっているのだが、ご当人達が意気込んでいるほどにはジャーナリズムの世界で注目されていまい。その証拠に、「『マスコミ』というジャーナリズム界の異質者」を血祭りに上げているのに『マスコミ』からの唯一のレスポンスを、私の連載第150回「ネットと既成とジャーナリズム横断」から取っている。少なくとも私はマスコミを代表していないし、会社の仕事と切れている時はネットジャーナリズムと言うべき所に立っている。

 昨年末から度々、ライブドア側からパブリック・ジャーナリズム立ち上げに向けて取材したいとメールがあり、お世辞を使う必要も無いので率直に「難しいでしょう」と意見を述べ、あまりにうるさいので明解なところを文字にしたら良いだろうと「ブログから生まれるジャーナリズムは」を書いて、やり取りはお終いにさせてもらった。1988年初めに当時は社業でネットに携わってから、ネット上活動をずっと続けてきたので、ネットのことで話を聞きたい人には出来る限りの応対をしてきた。うるさいのも限界と感じた理由は、何でライブドアのために、こんな時間を使わねばならないのか、素朴な感情として納得がいかなかったからだ。

 グッドタイミングで「宣言」が出て、事態は明瞭になった。マネーゲームの野望、その一翼を担うニュース部門が「自らの『活私開公』を目指す個人としてのパブリックが集い主体となって、『客観的真理』『規範的な正しさ』『主観的な誠実さ』といった理想論的な対話基準のもと……」と掲げて、世間が額面通りに受け取ってくれるのだろうか。雑多な情報でなく、ニュースだからこそブランドの力は必要である。多数の市民記者を抱え、韓国の政治を動かす存在にもなったオーマイニュースが念頭にあるらしい。しかし、ライブドアという出自自体が「日本のオーマイニュース」になる可能性を絶った――ライブドアPJ関係者に忠告し忘れた「欠陥」とはこのことだ。

 市民記者への道は「市民メディア・インターネット新聞JANJAN」で既に開かれているが、大繁盛とはなっていない。体制寄りだった韓国の既成メディアと、日本は事情が違うからだ。ブログ形式でのニュース配信だって独占できるものではない。ここに来て既成マスコミがネットに攻勢を掛ける動きをした。神奈川新聞が無料会員制コミュニティーサイト「カナロコ」を作ったのである。エリアライター「ホロホロさん」を募って、地域のニュースをブログの形式で発信させている。これにはコメントもトラックバックもある。新聞本体からの気になるニュースにコメントも出来る。新聞業界で絶えてなかった本当の双方向交流を意識させる。4月からは会員のみのサービスになり、読者の囲い込みを狙っている。

 販売店というクッションを置いてしか読者を把握していなかった新聞業界では、最近、会員制の読者囲い込みが目立ってきている。神奈川新聞の試みが成功すれば他の新聞が続くだろう。私も随分前に進言したことがあるが、当時は聞く耳を持つ人は無かった。いや、88年からの短命ネットこそ双方向交流そのものだった。完全匿名の読者群との恐るべきハイレベルなやり取りを、当時を知る者は「ネット草創期の桃源郷」と思い出す。いま問題点の一番はサイトを運営する、柔軟性がある人材がどれほどいるかにある。神奈川新聞の動きをうけて「ネットは新聞を殺すのかblog」の「囲い込むな、解き放て」は「囲い込みを目指すな」と檄を飛ばすが、新聞業界の人間がトレーニングをするには囲い込まれたくらいの環境がちょうど良い。アニメ「風の谷のナウシカ」の言葉を借りれば「失われし大地との絆を取り戻す」第一歩になる。

 その”マイナーリーグ”だって完全閉鎖空間ではない。ソーシャルネットワークと違い、希望者は会員になれるのだから、何が語られ、論じられているかは自ずと広まる。横のつながりを作るボランティアがいれば、論壇系のネットワークが自然に構築される可能性もある。かくして、純・匿名で勝手なことが言い回れるネット空間は、相対的にどんどん狭まって行こう。
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by ydando | 2005-02-13 00:06 | ジャーナリズム
ニュースを書く感覚は発見の感覚
 「ネットは新聞を殺すのかblog」の湯川さんからトラックバック「団藤さん、ブログは今までの媒体と違うのでは」があり、良い機会なので先日の「ブログから生まれるジャーナリズムは」を補足しておきます。「ブロガーの皆さんの多くは『これはニュースになる』との感触をまだ知らない」という部分について、湯川さんは現在のマスメディアのニュース感覚だっておかしいなどの趣旨で分厚い議論をされているのですが、私はそんな難しいことを言っているのではありません。文章論としてニュースを書く感覚が足りないのです。

 ストレートな新データを書くのではなく、マスコミが伝えた事実などについて評論している場面では、多くのブログは平面的な主張をしているだけに見えます。書き始めから書き終わりまで、ほとんど議論が発展していないことも多々です。私がブログ時評シリーズで引用しているブログは、書くことによって筆者も何かを見つけるか、新しいステップに入るかしているケースが大半です。見つけることがニュース性を与えているとも言えます。

 最近の「青色LED和解で理系冷遇は変わるか [ブログ時評07]」を例に取れば、「BENLI」の「ギャンブルしなかった中村さん」は米国流の高収入システムを書き、本当はそれに乗っていないのに「理系人は米国に来なさい」と放言する中村教授の言行不一致をきれいに描き出しています。一方、「junhara's blog」の「発明貢献度なぜ5%?」は5%と書籍の印税10%の関係に気づいたところは良いのですが、リスクを取らないから5%になる点などを論じ損ねています。発見の歯車が半分しか回らなかった感じでしょうか。私が補っている部分まで自分で気づいていれば、新しい地平が見えて面白い論に発展したでしょう。

 新データを書かなくてもニュースになる文章法を挙げましょう。音楽評論家の吉田秀和さんが「私の文章修業」という本で、大相撲の勝負が決まる瞬間を描ききることで文章を磨いたエピソードを書かれていました。力士の一連の動きの中で、勝敗を決めたのはどの瞬間だった見極めるのです。時事的なニュースであっても、決定的なポイントは何か考える手法として応用可能かと思います。

 私が引用してまとめ上げているブログ時評シリーズは、紙のメディアでも通用するニュース性があると思っていますが、その基本は書くことで何かを発見する営為にあるはずです。ネットを回って何かが書けると感じた時には、必ず眼前が開けて見えていなかったことが見えたと思えます。私のジャーナリズム観「隠されがちな事実を伝え、見えなかった意味を言う」の後半部の感覚です。
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by ydando | 2005-01-24 19:44 | ジャーナリズム
ブログから生まれるジャーナリズムは
 2ヶ月、多くのブログを読みほぐす作業をした感想をまとめれば、ストレートニュースの要素はほぼインド洋大津波の被災体験記だけであり、そのほかで紹介するに値したのは、ものの見方、切り方の斬新さだった。ニートや学力低下などを巡る体験談的な話も、どちらかと言えば見方、切り方に近い。ジャーナリズムの理念をスローガン風に唱えている「隠されがちな事実を伝え、見えなかった意味を言う」に照らせば、前者は少なく、後者が大半だった。しかも、この中身はいずれもマスメディアが流している、多くの「細切れニュース」のスタイルには納まりにくい性質があると思う。おまけに、ブロガーの皆さんの多くは「これはニュースになる」との感触をまだ知らない。

 ライブドアがブロガーの中から「パブリック・ジャーナリスト」を募集して独自ニュースを流そうと準備しているのは、かなり広く知られたことだ。このブログにもそのジャーナリスト研修講座に参加した人から、率直なレポート「ライブドアのパブリックジャーナリスト研修の感想」のトラックバックが来た。私はブログ時評を始める前から、ブログの世界が現状のままであるなら、その実現性に極めて懐疑的な立場に立っている。

 一番の問題は冒頭に書いた通りだ。私が読んでニュース性があるものをうまく書くには、ライブドア・ニュースという形式が有効かどうか。従って、記事の書き方トレーニングも、従来型記事の典型的スタイル「逆三角形型」を学ぶだけで良いとは思えない。指導役のプロの記者が必ずしもオールマイティでないと認識しないといけない。実はマスメディアの供給しているニュースも、「脱・細切れ」を果たし、ストーリーテラーの部分がもっと大きくならねばと考えている。

 次に、本名で記事を書くことに慣れていない「パブリック・ジャーナリスト」に何を期待するのか。身辺ニュースとは言え、「これは問題だ」というタイプは取り上げにくいのではないか。地方紙と全国紙の役割を書けば理解しやすかろう。地方紙の記者はずっとその地域社会に住み続ける。地元に深く密着している分、深いところまで知っていて書きにくい面がある。全国紙の記者は原則として2、3年で転勤していく。知り得たことは浅いかも知れないが、全国レベルの常識に照らせばローカルルールでなされている事柄のおかしさ、不当さに気付いて、しがらみ抜きに痛烈な指摘が出来る。(どんどん転勤していくので、例えば阪神大震災の被災者らからは「いつも最初から語らねばならない」と不評なのもよく知っているが・・・)

 フリーランスのライターが記事を寄せているサイトには、既に「JANJAN」がある。私も時にのぞくが、常時、見に行かねばと思うほどチャーミングではない。当然のことだろうが、ぶれも大きいと感じる。ライブドアさんには、あれを上回るようになる確かな仕掛けがあるのだろうか。記事へのコメント欄で圧力を感じるようなことが起きないシステム的な保護策もなければ、とても本名は使えないだろうし・・・(JANJANは会員制)。他人事ながら、うまくいく想像をする方が難しい。

 しかし、ブログの世界がいつまでも同じとは思っていない。ブログ、メルマガから紙のメディアまで通して読む人に訴えられるものが何か――見てもらっていく内に、私が言っているジャーナリズムの理念がだんだんと分かっていただけるはずだ。
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by ydando | 2005-01-19 23:22 | ジャーナリズム
「誰だってジャーナリスト」で、どこまで行けたか(2)
 今回の「学力・読解力低下で知る危うい国家戦略 [ブログ時評03]」を書くために、どれくらいのブログを読んだか。金曜の夜と土曜の朝とで250本以上は読みました。 検索デスクのブログ検索を使った分と、面白い内容のブログにトラックバックしている所と合わせた数です。これから、収集用ソフト「Internet Ninja」にそっくり取り込んだブログが45本です。取り込むときに、私の問題意識に引っかかった中身別にマークを付けておきます。

 土曜の午後に45本を再度、読み、気になった部分を取り出してテキストを並べます。通して意味を持たせるように並べる順番を入れ替え、私のコメントを加えることでストーリーにしてしまいます。取り出したテキストは十数本あったのですが、最終的に9本だけが残りました。念のために一晩、寝かせて、翌朝、気になった細部をリファインしてから公開です。これが今回の全作業です。この間、紙は全く使わず、全てパソコンの画面上で処理します。

 これだけの作業でマスメディアが準備したものの多くを抜く、かなり突っ込んだ中身になるのですから、「衆知」を集めるのは強いのです。

 ところで、これだけの数を読んだから言わせていただくと、インターネット検索を一度も使わずにいきなり書いてしまう人が圧倒的に多いと考えられます。書き出す前に、まず立ち止まって検索ぐらいしましょう。質的向上の第一歩です。

 実は4年前に、第95回「学力低下問題の最深層をえぐる」を書いています。各所で評判になったコラムで、「学力低下」をキーワードにすればgoogleでもyahooでもMSNでもまず目に入ってくるはずです。このコラムを読まれた上で書かれている方ももちろんいらっしゃいましたが、極少でしたね。残念ながら話がややこしくなるので、今回はそういう方のブログは敢えて除いて構成しました。

 もうひとつ気になったのが、データを使わない記述です。学力問題は誰にでもオリジナルなデータがある素材です。記憶の底から呼び戻して書いてほしいところです。あるいは自分の知性で新しい断面を切り出すか。そのような努力をしないと単なる茶飲み話になってしまいます。

 これからも読むに値するブログを発掘する作業を続けますが、これまでの3作品をご覧いただいて、何がアピールするのか、他人に読ませるために書くスタンスを磨くべく、考え直してみてください。
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by ydando | 2004-12-16 22:39 | ジャーナリズム
「誰だってジャーナリスト」で、どこまで行けたか
 「学力・読解力低下で知る危うい国家戦略 [ブログ時評03]」はある意味では誰にでも書くことがあるテーマでした。自ら学校教育で学び、また親として、教師として子どもを見てと、関わってきた立場は色々でも必ず該当します。では私が先に掲げた「誰だってジャーナリスト~プロだけのものではない」との立場で「素人ジャーナリズム」の成果を検証してみましょう。

 OECD学習到達度調査のような大規模で複雑な発表は、通常、1週間くらい前に記者クラブで全資料をマスメディアに提供してしまい、解禁日まで公表しないとの「縛り」を掛けます。それから、ゆっくり各方面に取材して、当日、大きく紙面に取り上げることになります。マスメディア側には十分な余裕があります。

 今回、大きな焦点は読解力でしたが、これについてマスメディア側に目覚ましい「解読」は見あたりませんでした。読書量の減少は既知のことですし、ネットや携帯電話との関連は、証拠やメカニズムを示さないと言っただけに終わることは明白です。マスコミ業界用語で「書き得」ですが、実は「逃げ」です。

 [ブログ時評03]で取り上げさせていただいたブログは、7日の発表から3日間くらいで書かれたものです。読解力問題の意味や、高め方、その実践の難しさについて引用した論考は、マスメディアの水準を超えているでしょう。読解力の国際性や「キレやすい子どもたち」にまで展開できたのは大きな収穫だと思います。

 教科内容削減・ゆとり教育導入の影響については、お母さん二人の立場で相反する書き込みを取り上げました。でも、進学コースから外れた高校のカリキュラムの実態と、今の小学校の授業の有り様と、実情を教えていただけて、読む側には新鮮だったのではないでしょうか。少なくもマスメディアに出る話ではありません。

 生活科が登場した頃について書かれた、お母さんと元教諭の経験談も、今だからこそ次の生かすために真剣に考えるべき中身を含んでいます。「私は退職しているので、本音が言えたんですが、現職でもそう思ってる人、いっぱいいますよ」というコメントが寄せられています。個別の状況を積み重ねることは一見、無駄のようで「素人ジャーナリズム」としては大きな力になる気がしています。

 フィンランドでは成功したとされる「総合的な学習」。国内の教育現場にいた方、フィンランドに学ぼうとした方からの発言を持ち出しました。そうしてみて分かる彼我、拠って立つ基盤の差、あまりのことに呆然です。

(※注=ちょっと甘口だったかな。次のエントリーでは、どのくらいの数を読んでこの[ブログ時評03]が出来たのか種明かし、その作り方と、ブログの現状、どこを不満に思っているか、との表明をします)
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by ydando | 2004-12-14 02:09 | ジャーナリズム
ネット・ジャーナリズムへの探求覚え書き
 ブログ時評の第2回を書いてみて、これまでの連載記者コラム「インターネットで読み解く!」とは、かなり違う場所に来ている感じがします。

 何せ、自分で見つけたり、協力して教えてもらったりして採用する議論が書かれた日付が、1週間内、あるいは2日前だったりする。googleでも1日、2日くらいの時間差でデータベースに取り込まれるようになったが、あちらでは既存の重厚な資料ウェブがやはり強い。今回はブログに探索範囲の重点を置いています。これは現在、進んでいる生の議論、進行形の言論活動をクローズアップしたいという意図です。

 ネット・ジャーナリズムへの探求、2週間目の観察を覚え書き風にメモしておきます。

(1)現在見つかるのは話題にするテーマを定めてみて、偶々発見される連関群でしかないが、「インターネットで読み解く!」型のコラム素材には耐える。

(2)トラックバックなどで形成されている連動はまだ本格的ではない。(例えば自然発生的に起きたNHK「奇跡の詩人」について現れたようなネット活動)

(3)意図的に進める「事の本質を言う」言論運動へは、各メンバーの問題意識が登録されているセンター、あるいはマップのような存在が要りそう。
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by ydando | 2004-12-08 01:47 | ジャーナリズム
「切込隊長」氏 との論点の違いを整理する
 昨夜は時間が無く途中を省いて書いてしまったので、多数の方がわかりにくいとおっしゃっている。切込氏と、論点の一番の違いは、私はジャーナリズムの基盤を個人に置いている。切込氏は「ジャーナリズムもある種の商品を扱っている以上、その継続性、品質維持を前提として装置化するというほうが有利に決まっている」と言っているように、ジャーナリズムを企業マスメディアの方向に膨らませ、拡大したものとして扱っているように見える。マスメディアが統治のツールであるという社会的了解はいいが、個人のジャーナリストは内的な自由に発して自分の属する市民社会の中を探索し、当の事象の、その社会にとっての意味を明かすものである。この立場に立てば切込氏のように「情報を扱う企業が社員の情報を出す活動を監視しようとするのは当たり前の帰結であろう」とはとても言えないし、同意できない。

 こう整理すると、随分違うことをお互いに「ジャーナリズム」と言っている。私からすれば「切込氏のネット上のジャーナリズム」とはある種の仕掛け、マスメディアを作ることに相当するという見方になる。「産業化」と言われている方もいる。なお、個人のジャーナリズム活動は自己責任でするしかないのは当然であり、ガードするためにどこまで書きうるか吟味する作業は欠かせない。私の書いているものはその限度内にあるから、お読みいただいたところ、ご不満のようだが、切込氏の評価をもらおうとは最初から思っていない。現在のマスメディアでは書けない部分についてウェブを使っているのだ。

 遠い未来のネットジャーナリズム産業化について議論に加わるつもりはなく、このブログでの実践を通じた相互作用で今と質が違うものを生み出したいし、何かが出来るはずと思っている。「誰でもジャーナリスト」論に対して「どうしてネット上のジャーナリズムを軽々しく語ろうとするのか」と突っ込みがあったから返しただけで、切込氏と議論を続けても概念が違いすぎて生産的ではないから、ここまでにしたい。ジャーナリズムをどう捉えるか、コメント類を見るだけでもギャップが大きい。私の立場ははっきりしているので、後は読者が拠って立つ立場としてどう考えるかになる。ブログ時評を始めたばかりで、この種の議論に時間を使うより、本来の趣旨の仕事に時間を掛けたいものだ。
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by ydando | 2004-12-03 22:49 | ジャーナリズム
「切込隊長」氏の「ジャーナリズム」は「マスメディア」のことだ
 「誰だってジャーナリスト~プロだけのものではない」に対する「切込隊長」氏のトラックバックは「どうしてネット上のジャーナリズムを軽々しく語ろうとするのか」と題されているが、これは正確には「どうしてネット上のマスメディアを軽々しく語ろうとするのか」である。はっきり言って、私には「切込隊長」氏がジャーナリストたろうとしているとは思えない。氏の言っている「報道」とか「ジャーナリズム」のうち「マスメディア」と置き換えた方が適切な部分を、以下に置換して引用してみる。それが自ずと私の指摘の正確さを語っている。

《置換文》
 社会学的に見てマスメディアとは何かと議論すれば「一回かぎりの行為であってもジャーナリズムたりえる」が、では実際一度きりの情報がたとえ素晴らしいものであったとして、それがマスメディアとして機能すんのかを考えればそんなことはありえないことぐらい気づくだろう。

 また、ジャーナリズムは「装置によって稼働する『情報産業』ではない」という引用がされているが、マスメディアもある種の商品を扱っている以上、その継続性、品質維持を前提として装置化するというほうが有利に決まっている。

 同様に、報道する装置、マスメディアというものは多かれ少なかれ統治のツールであって、本質的に「個人でもジャーナリズム」という議論の延長線上に来るものではなかろう。《ここまで》


《原文も挙げておく》
 社会学的に見て報道とは何かと議論すれば「一回かぎりの行為であってもジャーナリズムたりえる」が、では実際一度きりの情報がたとえ素晴らしいものであったとして、それが報道として機能すんのかを考えればそんなことはありえないことぐらい気づくだろう。

 また、ジャーナリズムは「装置によって稼働する『情報産業』ではない」という引用がされているが、ジャーナリズムもある種の商品を扱っている以上、その継続性、品質維持を前提として装置化するというほうが有利に決まっている。

 同様に、報道する装置、報道機関というものは多かれ少なかれ統治のツールであって、本質的に「個人でもジャーナリズム」という議論の延長線上に来るものではなかろう。《ここまで》


 私も職業的ジャーナリストとして20年以上、生きているが「統治のツールであろうとしたことなど」ただの一瞬もない。氏のエントリーのトラックバックを参照すると「切込隊長」氏の、この意見に賛成する方がいらっしゃるようだが、氏の「2ちゃんねる」的ファンの底の浅さ、志の低さが滲み出ている瞬間に出会わせたと感じる。あなた達はそんなジャーナリズムを欲しているのか。そんなことをこれまで書き連ねてきたのではなかろう。「2ちゃんねる」の最良の部分はもう消えてしまった。皮肉を込めて申し上げる。

 ジャーナリズムが何かが判ってから、それをブログの世界でどう展開するのか、実社会にどう影響させるのか、議論するのは意味があると考えるが、いきなりマスメディアの機能をどう持たせるか議論するのは全くの無駄である。

 ところで「R30」氏は「ネットジャーナリズム・ウヨサヨ論」で「何で切込隊長とか湯川氏とか僕とかがこんなに口角泡をとばしてネットジャーナリズムの産業化の可能性について議論してるのか、全然わかんなくなっちゃうじゃーん」とおっしゃっている。お気遣い無く、ご自分のペースで議論をされたらと思う。
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by ydando | 2004-12-03 00:22 | ジャーナリズム