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by ydando
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2004年 12月 03日 ( 2 )
「切込隊長」氏 との論点の違いを整理する
 昨夜は時間が無く途中を省いて書いてしまったので、多数の方がわかりにくいとおっしゃっている。切込氏と、論点の一番の違いは、私はジャーナリズムの基盤を個人に置いている。切込氏は「ジャーナリズムもある種の商品を扱っている以上、その継続性、品質維持を前提として装置化するというほうが有利に決まっている」と言っているように、ジャーナリズムを企業マスメディアの方向に膨らませ、拡大したものとして扱っているように見える。マスメディアが統治のツールであるという社会的了解はいいが、個人のジャーナリストは内的な自由に発して自分の属する市民社会の中を探索し、当の事象の、その社会にとっての意味を明かすものである。この立場に立てば切込氏のように「情報を扱う企業が社員の情報を出す活動を監視しようとするのは当たり前の帰結であろう」とはとても言えないし、同意できない。

 こう整理すると、随分違うことをお互いに「ジャーナリズム」と言っている。私からすれば「切込氏のネット上のジャーナリズム」とはある種の仕掛け、マスメディアを作ることに相当するという見方になる。「産業化」と言われている方もいる。なお、個人のジャーナリズム活動は自己責任でするしかないのは当然であり、ガードするためにどこまで書きうるか吟味する作業は欠かせない。私の書いているものはその限度内にあるから、お読みいただいたところ、ご不満のようだが、切込氏の評価をもらおうとは最初から思っていない。現在のマスメディアでは書けない部分についてウェブを使っているのだ。

 遠い未来のネットジャーナリズム産業化について議論に加わるつもりはなく、このブログでの実践を通じた相互作用で今と質が違うものを生み出したいし、何かが出来るはずと思っている。「誰でもジャーナリスト」論に対して「どうしてネット上のジャーナリズムを軽々しく語ろうとするのか」と突っ込みがあったから返しただけで、切込氏と議論を続けても概念が違いすぎて生産的ではないから、ここまでにしたい。ジャーナリズムをどう捉えるか、コメント類を見るだけでもギャップが大きい。私の立場ははっきりしているので、後は読者が拠って立つ立場としてどう考えるかになる。ブログ時評を始めたばかりで、この種の議論に時間を使うより、本来の趣旨の仕事に時間を掛けたいものだ。
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by ydando | 2004-12-03 22:49 | ジャーナリズム
「切込隊長」氏の「ジャーナリズム」は「マスメディア」のことだ
 「誰だってジャーナリスト~プロだけのものではない」に対する「切込隊長」氏のトラックバックは「どうしてネット上のジャーナリズムを軽々しく語ろうとするのか」と題されているが、これは正確には「どうしてネット上のマスメディアを軽々しく語ろうとするのか」である。はっきり言って、私には「切込隊長」氏がジャーナリストたろうとしているとは思えない。氏の言っている「報道」とか「ジャーナリズム」のうち「マスメディア」と置き換えた方が適切な部分を、以下に置換して引用してみる。それが自ずと私の指摘の正確さを語っている。

《置換文》
 社会学的に見てマスメディアとは何かと議論すれば「一回かぎりの行為であってもジャーナリズムたりえる」が、では実際一度きりの情報がたとえ素晴らしいものであったとして、それがマスメディアとして機能すんのかを考えればそんなことはありえないことぐらい気づくだろう。

 また、ジャーナリズムは「装置によって稼働する『情報産業』ではない」という引用がされているが、マスメディアもある種の商品を扱っている以上、その継続性、品質維持を前提として装置化するというほうが有利に決まっている。

 同様に、報道する装置、マスメディアというものは多かれ少なかれ統治のツールであって、本質的に「個人でもジャーナリズム」という議論の延長線上に来るものではなかろう。《ここまで》


《原文も挙げておく》
 社会学的に見て報道とは何かと議論すれば「一回かぎりの行為であってもジャーナリズムたりえる」が、では実際一度きりの情報がたとえ素晴らしいものであったとして、それが報道として機能すんのかを考えればそんなことはありえないことぐらい気づくだろう。

 また、ジャーナリズムは「装置によって稼働する『情報産業』ではない」という引用がされているが、ジャーナリズムもある種の商品を扱っている以上、その継続性、品質維持を前提として装置化するというほうが有利に決まっている。

 同様に、報道する装置、報道機関というものは多かれ少なかれ統治のツールであって、本質的に「個人でもジャーナリズム」という議論の延長線上に来るものではなかろう。《ここまで》


 私も職業的ジャーナリストとして20年以上、生きているが「統治のツールであろうとしたことなど」ただの一瞬もない。氏のエントリーのトラックバックを参照すると「切込隊長」氏の、この意見に賛成する方がいらっしゃるようだが、氏の「2ちゃんねる」的ファンの底の浅さ、志の低さが滲み出ている瞬間に出会わせたと感じる。あなた達はそんなジャーナリズムを欲しているのか。そんなことをこれまで書き連ねてきたのではなかろう。「2ちゃんねる」の最良の部分はもう消えてしまった。皮肉を込めて申し上げる。

 ジャーナリズムが何かが判ってから、それをブログの世界でどう展開するのか、実社会にどう影響させるのか、議論するのは意味があると考えるが、いきなりマスメディアの機能をどう持たせるか議論するのは全くの無駄である。

 ところで「R30」氏は「ネットジャーナリズム・ウヨサヨ論」で「何で切込隊長とか湯川氏とか僕とかがこんなに口角泡をとばしてネットジャーナリズムの産業化の可能性について議論してるのか、全然わかんなくなっちゃうじゃーん」とおっしゃっている。お気遣い無く、ご自分のペースで議論をされたらと思う。
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by ydando | 2004-12-03 00:22 | ジャーナリズム