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by ydando
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預言者風刺画騒ぎと靖国参拝への波紋 [ブログ時評48]
 デンマークの保守系新聞ユランズ・ポステンが昨年9月にイスラム教預言者ムハンマドの風刺画を掲載したことから始まった抗議・暴動は、2月初めにはシリアでデンマーク大使館焼き打ちに発展、さらにデンマーク製品ボイコットなどイスラム諸国・欧州で広く深く尾を引いている。言論の自由を最優先として風刺画を転載するメディアが続出する欧州側と、死者を出す騒ぎになっても収まらないイスラム側の深刻な対立は、ブログの世界でも盛んに取り上げられた。靖国神社参拝を巡る日本と中国・韓国との関係に似ていることが意識され、ネット上で高まっている排外的な心理傾向に新しい照明を与えている。

 教徒によってイスラム教は風刺の対象にされないのだろうか、ムハンマドはどうなのだろうか。ドイツの新聞に載ったイスラム学者の記事を翻訳している「ムハマンド風刺画問題をめぐって:ドイツ紙より(2)」(Takuya in Tokyo)が貴重な情報を与えてくれる。欲張りの聖職者はしばしば風刺されるし、イスラム教自体も嘲笑されてきた。「イスラム文学は、神に対する嘲笑で溢れている」「愛しているにも関わらず自分を見放したと感じられた神に対する告発」がされている。「嘲笑しようとする者は、ムハンマドではなく神に直接向か」い、ムハンマドは嘲笑の対象から除外されてきた。こういう事情だからこそ「自分の宗教を風刺する人間には、その権利がある。多数派社会が少数派社会を侮辱するためにそれをするのだとすれば、それは趣味が悪い」。この最後のメッセージに翻訳した筆者は強く共感している。

 最初のデンマーク紙掲載はともかく、続いて転載して通常の何倍も売り上げたりしたフランスの雑誌などへは厳しい批判が出ている。「フランスの風刺漫画は表現の自由と言えるか」(ツボの独り言)は「無意味な争いごとを作るような行動は、表現の自由と言って欲しくない。表現の自由とは、力が弱いものが力の強いものに対して使うことで初めてその価値があるのであって、何も無いところに火をつけることではないはずだ」と極めて真っ当な主張をしている。フランスでの転載は、昨年の都市郊外暴動へのしっぺ返しにも見えるから始末が悪い。

 「風刺画と文明の衝突・3」(川の果ての更に果てに)は「今回の風刺画については表現の自由の意図するところも宗教タヴーに対する挑戦というよりは、自国の一部分(移民)に対する侮蔑的・差別的表現が許容されるかという要素の方が大きいでしょう。そうした差別的表現が許されるのか、という別問題の様相があるわけですよね」と、問題点に踏み込む。「ちなみに今回の事件に対するブロガーの大半の反応は日中間における他国の反応とも似通ってるんじゃないかなという気もします。『中国の連中も行き過ぎだけど、でも怒るのも無理ないよね。日本が余計なことしているんだから』なんて思われているのでは」とも観測する。

 日本とアジアとの関係に思い至って、悩んでいるのが「ムハンマドの風刺画~日本~」(Planting Field weblog)である。「靖国参拝に関しては本人の自由だと思う。ただ中国人は嫌がる。同じようにイスラムのこのムハンマド問題に関しては西欧諸国側に問題がある気がする」「相手の気持ちを考えるか考えないで自国の主張のみを通すのか、その点では似ている気がする。ほんとこの問題を耳にして考えてみると自分の考えが矛盾していたことに気がつく。そう考えたら靖国問題もどうなんだろうと思えてしまった。だからといって他国にやめろと言われてやめるのもね~と思ってしまう自分が居る」

 もちろん、これまでの考え方を変える必要はないと割り切っている例もある。「日本は孤立?」(右傾化する慶應生のブログ・・・)は「この問題の対立軸は、表現の自由VS宗教の尊厳だった」「宗教の尊厳とは、人間の宗教心、内部の問題、ソフトなデリケートな問題だ。政治の問題ではない」とするのに、「靖国の場合はどうか。この問題の対立軸は、日本人の英霊に対する宗教心VS中韓の政治的外交カードである。外交カードであって、中韓の国民の感情の問題、尊厳の問題ではない。たしかに尊厳を傷つけられた中韓の老人もいるかもしれない。しかし圧倒的に、カードである」と純政治問題として捉える。しかし、「尊厳を傷つけられた」存在を認めた以上、論理のほころびは避けがたい。
by ydando | 2006-02-16 19:39 | 世界
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